【シジョウノセカイ】《日常》⑧
【8、二人】
どれだけ時間が経ったのだろう。花火が打ち終わってから幾分か時間が経った。ルファラはようやく落ち着きを取り戻した。
「……ごめん、泣いてばっかりで…」
「いいよ。」
「……ありがと、ね。色々と。」
「…いいよ。」
いつのまにか二人の間に流れていた気まずい空気はすっかり消えていた。ルファラはふわりと笑みを浮かべヨンシーを見る。ヨンシーはやはり正面をじっと見つめたままだった。その表情からは何を考えているのか図ることができない。それでもいいとルファラは思う。何を考えていてもこちらを見なくてもヨンシーは自分の隣にいる。それがこの世のどんな優しい言葉でも、どんなに心から思いやりを含んだ言葉でも、到底越えることのできない温かさと信頼を感じるからだ。
「ほら、食べなよ。」
ふいにルファラの方を向くと、ヨンシーは渡したイカ焼きを食べるように促した。
「あっ…!」
ヨンシーからもらった涙塗れの冷えたイカ焼きをルファラはようやく手に取った。ふと隣でもぞもぞと動く気配がするので何かとそちらを伺うと、ヨンシーが脇からもう一つのイカ焼きを取り出していた。
「まだあったの!?」
ルファラは驚いて思わず大きな声を出す。
「何?悪い?」
そんなルファラをちらりと横目に見ながらヨンシーは冷めたイカ焼きにかぶりついた。
「…冷たい。」
「…ぷっ!あはは!」
「…何?」
ヨンシーは不服そうにルファラを見る。
「だって、冷たいに決まってんじゃん!どんだけ時間が経ったと思ってんのよ!しかもまだイカ焼き残ってたし!あんたどんだけ買い込んだのよ!あっははは!!」
ルファラは目に涙を浮かべながら大きく口を開けて笑い続ける。それをもぐもぐとイカ焼きを食べながらヨンシーは見つめる。
「はは、はぁー、おかしい!」
ひとしきり笑うとルファラはイカ焼きを一口齧った。
「本当だ、冷たい!」
ケラケラと笑いながらイカ焼きを食べる。ヨンシーはその姿に安堵し僅かに微笑む。
「やっと笑ったね。」
「…!」
ルファラは少し驚いてヨンシーを見たが、すぐにふっと顔を綻ばせた。
2人はもぐもぐと黙ってイカ焼きを食べ続ける。もう沈黙は苦痛ではない。ヨンシーがいてよかった、ルファラは心からそう思った。ヨンシーがいたから今自分はこうして笑っていられる。あの時ヨンシーが声をかけてくれなかったら、そもそもこの道を通らなければ、今の自分はいなかったであろうとルファラは思う。この幸せがどうかヨンシーにも伝わっていますように。ルファラはそう願った。
「ふぅ。おいしかった、ありがとね。」
イカ焼きは2人の胃袋の中にすっかり収まった。食べ終わったヨンシーは残りのペットボトルのお茶をグビっと飲み切ると、さっさとゴミを片付け始める。
「ん。」
ルファラに手を伸ばす。どうやらゴミを回収したいようだ。
「あ、ありがと。」
その手にイカ焼きのトレーを渡すと、ヨンシーはさっさと他のゴミと一緒にまとめてビニール袋に入れる。そのまま立ち上がり階段を降りていくヨンシー。そして降りきったところでくるりとルファラに向き直り、また手を差し伸ばす。
「さ、帰ろう。」
「…?」
ルファラはその手の意味がわからなかった。
「…何?どうしたの?」
「…手。」
「えっ?」
「手、繋いであげるからこっちおいで。」
思わずきょとんとするルファラ。そんなことはお構いなしに手を伸ばし続けるヨンシー。
「何で?別に良いよ、そんなの。」
ルファラが断ると、ヨンシーは差し伸ばした手をルファラの膝に向け指差した。
「転んだんでしょ?」
「えっ?あっ…」
すっかり忘れていた。ルファラの浴衣の膝の部分には転んだ時に付いた泥が付いている。いつのまにか目敏く気づいていたようだ。ルファラは急に恥ずかしく情けなくなって膝を抱え、ヨンシーの目から隠した。
「また転ばれちゃ困るから。ほら、おいで。」
またルファラに手を差し伸べるヨンシー。その様子にルファラは頬を膨らませる。
「…あたし、小さい子供じゃないんだけど。」
ヨンシーはくすりと笑う。
「ボクから見たら君は十分幼いけど?」
「ムカつくー!あんたの方がよっぽど見た目子供なくせに!」
むすっと不機嫌な顔を作ったがすぐににこりと笑い、ルファラは立ち上がって階段を降り始めた。そして階段を降り切るとヨンシーの横に立ち、さらににっこり笑ってからその手を取ろうとする。しかし、ふと気付いて途中で止める。
「どうかしたの?」
「あ、いや。手、汚れちゃってるから…」
「ボクもだよ。何?今更そんなこと気にするような仲だったっけ?」
ルファラは驚いた。まさかヨンシーが自分たちの仲をそこまで親しい間柄だと認識してくれていたとは思ってもいなかった。ルファラは正直いくら信頼しているからといって、いつも何を考えているかわからないヨンシーとどういう距離の取り方をすれば正解なのかわからないでいた。それをヨンシーは呆気なく飛び越えていった。ルファラはふふっと笑うと、今度こそヨンシーの手を取った。
「じゃ、エスコートよろしく!」
ヨンシーは置かれた手を握り、軽く会釈しながら微笑む。
「仰せのままに。」
2人は皆が待っている祭り会場へと歩き出す。きっと心配している。早く戻らねばと2人は足早に会場に戻る道を急ぐのだった。
石階段から祭り会場まで少し距離がある。花火も終わり祭りのピークは過ぎ去ったためか、喧騒も少しだけ落ち着いている。それでも会場に近づくにつれ人々の声が少しずつはっきりと聞こえてきた。
「みんなどこにいるんだろ…」
「さぁ?インフォメーションセンターじゃない?」
「…みんなに心配かけちゃったな。」
しゅんと落ち込むルファラの手をヨンシーがきゅっと握る。
「大丈夫だよ。いつだって心配かけてるんだから、今更気にする必要はないよ。」
そう穏やかに言うと、ヨンシーは落ち込むルファラの歩調に歩みを合わせた。
「ふふっ、それ慰めてるつもり?」
ルファラに少し笑顔が戻る。
「あ、そうだ!電話すればいいんだ!」
ハッと気付き巾着袋を探す。が、ない。
「あれ!?あたしの巾着は!?」
「君があそこにきた時にはすでに持ってなかったよ。」
「そうなの!?じゃあ、どこで落としたんだろ…あの中に携帯も財布も入ってるのに…」
「そのうち見つかるでしょ。誰かがインフォメーションセンターに届けてたりしてさ。」
「…うん。」
「悪用される前に対策取れば大丈夫でしょ。心配ないよ。」
「……」
「もう、何?何が問題なの?」
ヨンシーが少しイラついた声でルファラに問う。
「…あの巾着、アイラとお揃いで買ったから。」
「…!そうだったね、ごめん。」
ヨンシーはしまった、と思わずルファラから目を逸らした。
「ううん、大丈夫。こっちこそごめんね、未練たらしくウジウジしちゃって。」
「そんなこと…!」
ヨンシーは少し言い淀んだ。
「…きっと見つかるよ。見つからなかったらボクが見つけ出すから。」
目を逸らしながらもヨンシーははっきりとそうルファラに告げた。
「…ありがとう、ヨンシー。ところで、あんた携帯持ってないの?」
「はぁ?持つわけないでしょ、あんなお荷物。」
「ちょっと!これじゃ本格的に連絡取れないじゃない!」
「知らないよ。君が慌てて置いてくるから悪いんでしょ?」
「はぁ!?あたしが悪いっていうの!?」
「そうだよ。君が全部悪いんだよ。」
ルファラが額に手を当てはぁーと大きなため息を吐く。
「もうっ!あんた携帯ぐらい持ちなさいよ!今の時代すぐに連絡取れないと困るのよ!」
「必要ないって。連絡取りたい相手なんていないし。」
「だから緊急時に…!!もうっ!!」
ルファラはヨンシーを説得することを諦めた。
「……」
「……」
「…本当に誰とも連絡取りたいと思わないの?」
「思わないね。」
「あたしとも?」
「!?」
ヨンシーがガバッとルファラに振り返る。
「あたしはあんたと取りたいよ。何かあった時すぐに連絡したいし、何よりもっとあんたと他愛のない話してたいよ?」
「!!」
ヨンシーはルファラの手を握ったまま立ち止まった。
「どうしたの?」
「どうしたのって…君、何言ってるかわかってるの?」
「何が?」
「何って…!ボクなんかと話なんてしても何も面白くないでしょ!」
「そんなことないよ、すごく楽しい。」
「嘘つかないでよ!!」
ヨンシーの悲しい叫びが辺りに響き渡る。
「嘘なんてついてない!!あたしはあんたといて楽しいの!!」
「だって、ボクは…!」
「何よ。」
「ボクはいつだって、君たちに嫌な思いばかりさせてるから…」
「あーら!なーんだ、気にしてたの?いがーい!」
「ちょっと!!ボクは真剣に…!!」
「本当に嫌なことばっかしか言わないんだったら!!」
「!?」
今度はルファラの叫びが辺りに響き渡る。ヨンシーは驚きルファラを見つめる。
「…あたしは今、こんなにも救われてないよ?」
「……」
「あたしいい子ちゃんじゃないからさ。あんたから手を繋ごって言われた時、もしそれで嫌だったらあたしはっきり「嫌」って言ったよ?」
「……」
「あたしは今、自分がしたいことしかしてないよ?」
「……」
「あたし、あんたといて楽しいんだよ。信じて?あんたは自分が思ってるほど嫌なやつじゃない。」
「……っ…」
「ま、嫌なやつには変わりないけどね!思ってるほど嫌なやつじゃないってだけで!」
「……ふふっ。」
「やーっと笑った!」
ルファラはにっこり笑った。そしてヨンシーの手を強く握り直す。
「さ!ほら、早く行こ!みんな待ってる!」
「…うん、そうだね。」
2人は歩き出す。少しだけさっきよりもゆっくりと、2人の時間を楽しむかのように。
【8、二人】おわり 裕己
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