不安と喜び。~掃除は人の本質を映しだす〜
仕事は休み。
自分だけの時間。
珍しくズボラな自分がキッチンの水まわりの掃除をしようと思い、動きだす。
独りの頃は、ほとんど掃除をしてこなかったダメな私。
まず、何で掃除すればいいのだろう?
初手でつまずくが、何となくでやろうとする無計画さ。
シンクやコンロ周りをフキフキ。
キッチンスペースに置かれた物も片付けることなく、その間を拭う。
誰も見ていないからこその所業。
そんな私でもこれはやらなきゃダメなヤツと分かる排水口へ手を伸ばす。
パカッと開けるとゴミ受けがヤバい。
ヌメリが本体では?と見間違えるほどの大ヌメリ。
ヌメリ退治を頑張る。
が、根本の原因でもある排水口は…
見て見ぬふりをして、そっと閉じる。
誰も見ていないから。
こういうとき、頭で分かってても見返りを求めてしまう自分がいる。
妻と子どもを迎えに行くと自分の時間は終了。
妻のつわりが機嫌とやる気を削いでいく。
そんなことを子どもは露知らず平常運転。
夕飯の準備をしていると構って構ってが炸裂。
妻はスマホ。
食器を取りだす、冷蔵庫を閉める、1つ1つの動作が荒くなる。
まるでこっちはこんなに忙しいのに何してんの、とでもいった態度。
まるでじゃないな…
分かってても抑えきれない。
夕飯を終えると子どもの元気が良くない方向へ。
妻に構ってもらいたいのだろう。
のしかかる、足蹴にする、払いのけられると喜び繰り返す。
どんどん払いのける力に怒りがこもる。
見てて1番ツラいとき。
こんな時に咄嗟に行動に出れたらいいのに…
掛ける言葉を探してフリーズしてしまう。
意を決して子どもを連れて寝室へ。
言葉がまとまらない。
子ども相手にしどろもどろ。
「痛いこと、しちゃダメ」
「ごめんなさい、しにいこう」
外国人に必死に伝えるかのように。
それでも素直にごめんなさい出来る子どもに救われる。
情けない…
それでもまだ今日は終わらない。
寝る前のアンパンマンは子どもの楽しみ。
いつもは21時までに歯みがきまで済ませて寝室に入る暗黙のルール。
今日は睡魔が襲ってきた。
朧げな意識の中、子どもの
「もういっかい!」
と声が聞こえる。
これでおしまいだよ、と再度途中から再生する。
そこで意識が途絶える。
何か聞こえる。
「もういっかい!」
意識を取り戻すと、デジャヴかな?
さっきよりも泣き叫ぶように訴えてくる子ども。
妻はスマホを見ていた。
気付けば22時になろうとしている。
問答無用でテレビを消して寝室へ。
こんな雑なやり方に納得するはずもなく。
泣き叫び、暴れまわり、嗚咽まじりで大叫び。
「アーンパンマーン」
どう伝えればいいのか…
2度目のフリーズ。
放っておいても収まるのかもしれない。
我慢を伝える方法はいくつかあるのかもしれない。
それでも言葉で教えていきたい、という私の考えは子どものことを思ってのことか?
悩むのは分かってる。
スマホがそんなに大事ですか?
妻への当て付け。
そして、人前でちゃんとしようとしたがる善人気取りな自分。
そんな思いで自分の本心が分からなくなる。
ほんとは、ちゃんと我が家のルールを決めなきゃダメなのだろう。
スマホの使い方に不満を持っていることを伝えなきゃいけないのだろう。
ただ、排水口を見て見ぬふり自分は…
そんな根本の問題を見て見ぬふりしている。