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兵庫県政を正常に戻す会の県民集会に行ってきた

楽しみにしていた県民集会へ
この会に関心のある方はネット配信でも見ておられると思うので公演の内容をつらつら書いてもあまり意味ないだろうが備忘録として書いておきたいと思う。

県内からの参加で9時ちょっと前に文化ホールに着いたがすでに結構列ができていた。
後ろにも続々列ができていた。
整理券をもらい早めに来た甲斐あって文化ホール内で聴けることとなる。
誘導はボランティアスタッフの方がたくさんいてスムーズだった。
整理券をもらうところでは菅野さんもいた。
菅野さんは会場内外を行ったり来たりして参加者の人たちを出迎えていたと思う。
そういう役割に徹しておられたのだろう。
グレーのスーツが似合っていた。
署名をすませ三宮をぶらぶら。

12時ごろ文化ホールに戻り会場内に入る。
会場内は満員だった。
県外からの人も多かったそう。
東京から来られたと言う方もいた。
年齢層は中高年の方が多いと感じたが若い方もいた。

会は子守康範さんの司会でスタート。
あまり存じ上げていなかったがとてもいい声でさすがはアナウンサーと言った感じだった。

講演一番手の内田樹さんは昔から本を読んでいたのでやはり生で話を聞けて嬉しかった。
スリムな体型でレザージャケットが似合っていた。

斎藤元彦知事は組織マネジメント原理主義者だと。
橋下徹氏やトランプ大統領と同じ恐怖政治をやっている。
精神が子供であるから何をするかわからない怖さがある。
そこでは下で働く者の意思は奪われる。
委縮して人間性が失われるのだと。
そうやって自分のやりたい放題する政治をやっている。
そんな政治が良いわけないだろと。
公共を意味をもう一度考え直さないといけない。
一人一人が人間的に大きくなることが東洋での昔から目指されていた公共の形である。
人間的に大きいとは他者のことを理解する度量があることである。
こう言った話をしておられた。

次はアルテイシアさん。
この方のことは全く知らなかった。
しかしめちゃくちゃいい話をしておられた。

話は竹内元県議への哀悼から始まった。
竹内さんは仕事熱心でみんなから慕われていたと。
残念でならないと。
デマの伝わる速度は真実が伝わる速度より何倍も早い。
デマは真実の何倍も大きくなる。
ネットも恐ろしいが口コミはもっと恐ろしい。
身近にいる普通の人たちがころっと立花たかし氏のデマに騙された。
斎藤知事は悪くない、悲劇のヒーローだと。
まるでその様はゾンビのようだったと。
メディアリテラシーの低さも嘆いておられた。
フェミニストとのことで女性差別についても話される。
女性は男性と同じ事をすると何倍も批判される。
女性議員もしかり。
ジェンダー差別はこの国にも根付いており男性も女性も意識せず当然のように行われている。
この事に負けそうになることもあるがそんな時の救いは身近な人や仲間からの応援や励ましである。
それは人の命を救うものだとの強いメッセージだった。

次は子守さん
亡くなられた西播磨県民局長の話。
県民局長の噂はデマであると。
局長の死に竹内元県議が泣いていたと。
県民局長だよりでの県民局長最後のメッセージを子守さんはアナウンサーらしく読んで締められた。
若い職員に向けての誠意のあるメッセージである。
「同僚から一緒に仕事をしてよかったと思われる職員になってほしい。昇級は結果であり、私欲のために仕事はするな。県民のために仕事をし県民からあなたで良かったと言ってもらえる職員になってほしい」との良いメッセージだった。

休憩を挟み宮台真司さんのビデオメッセージ

ほとんど何を言っているのかわからなかった。
子守さんが、家で速度を落として字幕で見直してみるのがいいと仰ったのが尤もだと思った。

次はちだいさん

立花たかし氏は徹頭徹尾ホラッチョだと。
しかしみんな知らないから騙されてしまった。
立花の免疫はついたが今後知らない人が同じように出てくることの危険性も説いておられた。

歴史は短い期間でも繰り返すであろうからもっともである。
気を付けなければいけない。
ちだいさんの話は以前似たようなものを聞いたことがあったが会場は一番湧いていた。
ちだいさんも見られてよかった。
ちだいさんはいつも元気だ。
パーカーに細身のパンツをはいておられた。

続いてあかたちかこさん
あまり存じ上げていなかったが心を揺さぶられるものがあった。
御自身が選挙に出た時の話をされた。

候補者は「皆さん」なるものに思いを訴えるがそれは架空である。
その架空の「皆さん」がずっと頭の中に現れる。
このことに違和感を感じ気持ち悪くなったと。
選挙は結局人気投票であり話を真剣に聞いてくれる人もいなくてつらいものだったと。
ほかの候補者は選挙の宣伝で走り回り他候補の悪口を言って回る。
そんな中あかたさんの演説では福島から来た人が自分のつらい思いを訴えた。
その背後で宣伝カーが走り自分の名前を叫ぶ声が聞こえてくる。
どっちが政治なんだと。
「皆さん」ではなく「あなた」に向かわなくてはならない。
政治というのはひとりひとりの声を聞かなくてはいけないじゃないか。
苦しい思いを聞き、手を差し伸べるのが政治じゃないかと強く思われたという話だった。
ここに皆さんが集まっていることが政治を動かす力である。
皆さんとお会いできて本当に嬉しいと話された。

隣に座っていた女性の方は泣いていた。

そして県民の声として3人の方がお話になった。
皆さん強い想いでこの会に参加されたようだ。

最後に会長のドンマッツさん
湊川神社に不審者がいて昼食時に呼び出されたと言う話があったが、私がちょうど文化ホールに着いた時にちょうどマッツさんが出てこられていた。
スーツにハットの出立ちで、だからドンなのかと今更。

モラルが崩壊していくことへの危惧。
そして先人が守ってきた民主主義をもっと大切にしろと。
今まで培われてきたものを軽視しているのではないか。
軽視しがちなのではないかと戒める。
続けて、この会を運営したのはボランティアの方々である。
資本主義ではない力でこの会を成功させた。
この力を信じる以外にこの国に希望はないではないか。
人間には可能性がある。
この会場にお歳を召した方も多くおられ、もしかしたらこの先可能性がないと思われているかも知れないがそんなことはない。
歳を取っていても可能性はある。
ここから始めていく。
渋い話し方だが熱いメッセージでカッコよかった。

どの講演者の方もすごくいい話をしておられた。
皆さんに共通していたのは人間性を大事にしなくてはいけないと言うことだった。
今、兵庫県だけを見てもそれが失われているように感じる。
斎藤知事は人形のようだ。
SNSではデマ罵詈雑言にまみれ、逆転させたような論理で斎藤知事周辺を擁護している人間性の欠片もない投稿であふれかえっている。
この現状自体がハラスメントである。
以前書いた安富さんの創発という言葉を思い出す。
人間が物的なもの以外で必要としているものは他者の共感であり理解であり寛容であり優しさであり助けである。
それがあるからこそ可能性が開け人間の力を存分に発揮できるのだ。
しかしそれが失われつつあるのである。
とても恐ろしいことだ。
そんな世の中になってしまうのは嫌である。

この会場に集まった人たちは「オールドメディアに騙される情弱」ではないし「活動家」然とした人達ではなかった。
会場はとてもいい空気で優しい人の集まりだと感じた。
集まった皆さんは兵庫の現状に危機感を持っている。
民主主義を守ることに対して、また、人間性を大切にするということに対して何か共通したアツいものを持っていると思う。
拍手の回数と大きさでそう感じた。
これが救いであり希望であった。
寒い中ずっと案内をされていたボランティアの方々にも頭が下がる思いになった。
この会がもっと広まれば希望ももっと膨らむ。
とてもいい会で温かく嬉しい気持ちになって外を出た。
外は気持ちの良い晴れ空であった。
そのおかげか三宮で前から欲しくて悩んでいたブレザーを買って帰ってしまった。
今回の県民集会に参加出来て本当に良かった。

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