あまりにも鮮明な夢
最近よくみるひどい夢
仕事がこの時期が繁忙期なせいか、最近本当にひどい夢ばっかり見ている。いわゆる悪夢である。
設定は大体「うつを患ってる今の自分」が小学校や中学校に遅刻していたりだるそうに登校していたりする。特にこの間は危機感を覚えるレベルの悪夢を見た。「高校卒業のための単位が実は足りていなくてこのままだと大学の学位も取り消しで仕事を辞めさせないとはいけないから、今から期末テストを受けてこい」というめちゃくちゃな話で、今から数学IIをやりなおすなんて無理だとパニックを起こしていた。肉体が激しい希死念慮を訴えていて、このままじゃ本当に自殺しそうだなと思いながら目を覚ましたら汗ぐっしょりだった。朝方に凍えるくらいの発汗だった。とりあえず夢でよかった。その日は朝からHP0だった。
重い夢の話
学生のくそ病んでた時期に「重い夢」を見ることが多かったんだが、今それが久々にやってきている感じがする。重い夢の「重い」は精神的にではなく物理的なもの。調べたところによると「体は眠っているのに頭は起きている」ため、動きたいけど動けない金縛りのような状態になる。思うように体を動かせなくて本当に目が覚めた時にずっしりと疲れているから、この夢のことを私は「重い夢」と呼ぶことにしている。
重たい夢でも楽しいものもある。登場人物のセリフも顔も風景も眼前に広がっていて、五感的にも体感しているようなこともある。それを「あまりにも鮮明な夢」と呼んでいる。どこかで聞いたことがある言葉だと思った方もおられるかもしれないが、つまりそういうことである。
あまりにも鮮明な夢
夢にいつも出てくる場所がある。昔育った団地の敷地であり小学校の校舎であり、その先にある小さな丘だったり、通学路だったり公園だったり住宅街だったり森の中のプラットホームだったり高層ビルだったり駅の地下通路だったりする。バンジョーとカズーイの大冒険に出てきたような洞穴だったり、荒れ狂う波だったり、恐竜の骨が沈んでいる海だったり、一時期は世界を救うために宇宙に戦いに出ていく夢ばかり見ていたこともあった。
どれも現実の記憶と似ているようで似ていなくて、思ってもない景色と景色が繋がっていたりする。幼い頃過ごした団地の敷地を出て歩いていくと、名古屋栄の歩道橋やマリオカートのハイウェイのステージに繋がっていたりする。場所と場所ではなく景色と景色がつながっている。
どうしてそうなったかわからないが、そのあまりにも鮮明な夢たちは何十年もかけて少しずつその世界を広げ、私の頭の中に膨大な地図を作っている。
でも、夢を見る時必ずその世界に入れるわけじゃない。だからこの場所の夢を見られるとまたここに来れたとあたたかい気持ちになる。愉快な夢でも苦しむ夢でもそこには感情がなくて、ただただ「帰ってきた」という感想だけが残る。きっとそこは、無意識に創りあげた私のお気に入りの世界なんだと思う。
この景色を小説にしたいと何かを書くたびにいつもいつも思っているが、とても難しい。
夢の世界の話
「単位が足りなくて死にたくなった夢」のことをnoteに記録して「ちゃんと休まないとなー」で話をおとすつもりだったのに、思ってもなかったことを書いてしまった。
言葉にしたのは初めてなので、大切な夢の世界があることをこうして書けてよかったです。夢の世界って書くとなんか壮大なんだけど、故郷みたいなところです。
この流れでもう一つだけ余談。夢で見ていることがおもしろおかしくて笑っていて、寝言ならぬ寝笑いに自分でびっくりして起きちゃうことが時たまある。
こういう夢の見方って、みんな同じような経験したことがあるものなんですかね?
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