
「大学が必要なくなる」は本当か。#1モラトリアム期には自由と時間が必要
最近よく聞くようになってきた、「大学に行く必要がなくなるのではないか」という話。
これに対して、今回から
①モラトリアム期には自由と時間が必要
②就職予備校化現象
の二記事に分けて、独断と偏見溢れる持論を展開しようと思います!!
モラトリアム期に自由と時間が必要
まずモラトリアム期とは、簡単に言うと「大人になる前の猶予期間」
自分は何が好き?どんな生き方をしたい?などと、自分を見つめることができる期間のこと。
一般に18〜22歳くらいの期間を言うけど、研究者によってまちまち。近年はモラトリアム期がどんどん延長しているとの説もある。
このモラトリアム期には、行動できる「自由」と充分な「時間」が必要だと思っていて。
18歳から、できることが増えて行動の幅がぐんと広がる。特に20歳を超えると、良くも悪くも責任は自分に置かれると思う。
遠いところへ行くことも、買い物も、勉強も、大人と会うことも……
高校生まででは得られなかった、“自由”を存分に謳歌できる。
その自由を謳歌して、
いろんなことを見て、経験して、感じることこそが
自分を見つめることになる。
私は秋田県鹿角市をはじめ、いろんな地方を見ることで自分でも知らなかった趣向を発見した。
たくさんの人と話すことで、自分の信念や価値観を発見できた。
しかし自分を見つめるためには、
充分で、かつ一定の時間が必要だ。
何かに時間を搾取されることのない、充分な時間が確保されていないと
いろんなことを学んで、見て、経験して、感じることが物理的に難しい。
ただ、これは長すぎてもまた良くないのではないか。
一定の時間であると、強制的に将来の選択を迫られる。そのタイミングが決まっていた方が、勇気を持って意思決定ができると思うからだ。
(これは特に私の持論↑)
選択肢の一つとしての大学
この、モラトリアム期に自由と時間を得られる選択肢として、「大学」があると考えている。
この自由と時間が得られる絶好のチャンスを生かし切れていない大学生がすごく多い。
自分を見つめることを放棄して、なんとなく時間を費やしている大学生はもったいないな〜と感じる。
大学はある程度、自分の時間をコントロールできる。興味のままどこかの団体や組織に入ることもできるし、長期で遠出することもできる。何より知見を持つ教授たちが身近にいる。
ただ、この選択肢って、別に大学じゃなくてもいいんじゃない?
四年間、自分を見つめる期間と学ぶ機会なんかが得られる、他の選択肢があってもいいと思う。
今は、それが「大学」しかないというだけだ。
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「いやいや!大学って勉強するところだから!」って声が聞こえてきそう。
大学は勉強しに行くところ。学問第一!
これには私も大いに賛成です🙋
だから、次の記事では「②就職予備校化現象」として“勉強”という観点から
大学に行く必要がなくなるのではないか、という問いに対して考えようと思います。