【韓国ドラマ「風と雲と雨」最終話】「運命を超える」と聞いて思ったこと
また、最終回だけ見たくなって観てしまった
韓国ドラマ「風と雲と雨」
最初、タイトルを聞いて、何それ?と思った。
内容が全然、想像できない。
最初数回観て、あとはもう観なくなった。
時間は有限だから、優先したい事はたくさんある。
でも、最終回と知り、観たくなって観た。
夕飯作りをしながら。
最終話の最後「運命を超えて、君に会いに来た」
最終話のほんとに最後
「運命を超えて、君に会いに来た」と
この「運命を超えて」という言葉が、胸に響いた。
運命が決まっているとは思わないけれど、
最初の段階で、恵まれているかどうかは、その後を左右する
可能性があると思う。
どんな家庭に生まれたか、親の経済力、愛情力(造語)によって
子供の成長は違ってくる。
よほど、精神年齢が高い子供なら、世の中や親を客観的に見て
自分が経済力を持てるまで、がんばるのかもしれないけれど、
その比率は、高いとは言えないと思う。
何も知らない子どもは、生まれた環境と、そこにいる大人たちに
大きく翻弄されていく。
自分の人生の初期設定を確認する
子どものうちに、なんとか、客観視できる何かがあれば、
早いうちに軌道修正ができるように思う。
何かを学ぶとか、知識を増やす前に、
自分が、どんなところに生きているのか、
その環境を客観視して、今後、どうしていくかを考えていけるような場、
システムがあればなぁと思ったりする。
なかなか難しいかもしれないけれど、
早い段階で、自分がどんな初期設定なのかを確認する。
たとえ、誰もいなくても。
顧みてほしい。
今は、世の中は情報に溢れているから、
YouTubeでも本でも、探せば出てくるはずなんだ。
まず、自分を創る
どんなに刷り込まれてきたか
刷り込まれているか
それは、自分なんだけど、思いこまされたものは多くあるから、
必要なものはそのままにして、
不要なものに気づき、手放せるといい。
潜在意識の書き換えとか言われてたりする。
自分を止める思考に気づいたり、
これまでとは違う行動してみたり、
そういう事を一緒にできる仲間を作ったり、
そういう環境に飛び込んだり、
可能な範囲でアクションを起こしていくと、
予定調和から離れた世界が見えてくる。
それは新しいというか本来の自分に対峙する瞬間なのだ。
なりたいBEを決める
自分が創られてくると
自分のなりたいが見えてくる。
以前、「たいていの人の夢は、奴隷の夢だ」と言っていた人がいた。
当時は、よくわからなかった。
その時の自分が持つ夢が、奴隷の夢とは到底思えなかったけれど。
BEが分かれば、DOしやすい
いろいろな拘りが少なくなった自分は、
行動しやすくなる。
DOすれば、HAVEに左右されない
いろいろな行動を起こしていけば
行動そのものに意味を見いだせるし、
欲しくなくなる訳ではないけど
HAVEに対する執着は少なくなるかも
できなかったら、また行動するだけ。
旅行もいいけど、人生の旅を楽しむ
以前は、いろいろなところに旅行に行くっていいなって
思ってた。今も思うけれど。
物理的な移動によって、普段とは違う世界を五感で感じるのは楽しい。
人生の旅はというと、心の旅でもある。
旅行と違って、計画通り、予定通りではない。
思わぬことがたくさん起きる。
そこで、人は苦しんだりするけど、
それを乗り越えた展開というのは、
誰にも奪われない自分の宝となり
その後の人生を支えていく一つになる。
安定が幸福だと思ってると大変じゃないかなと。
安定でなければ、不幸だと思ってしまう。
そうなると、ほとんどの人が、不幸ってことになりかねない。
それは、その人の能力でも性格でも経済力とか地位とか
持ってるものだけで人生は決まらないから。
悲しい自然現象
悲しい人達の悲しい思いによっても
世界は動くから。
最初から最後まで、決まった運命はない
思いと行動によって未来は創れる
一朝一夕にはいかないことが多いかもしれないけど
生まれた環境によって翻弄されて辛い状況なら
その運命を超えていく術はある
運命を超えて
人生を変えて
国をも変えてきた先人達がいる
彼らは、運命通りに生きたのか、運命を超えて生きたのか
数々の死線を超えて行動し続けた彼らは
やはり、運命を超えた人達だと思う
明日の朝ごはんに何を選ぶか、それでも未来は変わるんだ
食べるもので、身体と心は作られるから
さて、明日の朝ごはんは、何を食べよう
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