表現としての株式会社を考える
ここ数日、ぱたっとドアが開いたように、ひとつの答えのようなものが見えた。私は株式会社を登記したけれど、それは表現のひとつの手法だったのだ、という事がわかったのだ。
今年6月に株式会社机上の空論を登記しました。
本名(?)です。
最初からこの名前を考えていて、何年も経ちまして、けっこう急に設立が実現しようとした時にこれにしました。
その後、私は全く違和感がなかったけど、周りの反応が結構あって、ちょっとだけ普通の名前にしたらよかったかなとかも思っていたのです。
株式会社オンザテーブルとか。(デスクじゃないのか)
それは、世の中の会社という概念が、私が立ち上げた会社というものの概念とかなりずれがあるせいだったのですが、そのズレが何なのかちょっとよくわからないままでした。
「経営者としてどうのこうの」とか「会社のビジョンがどうのこうの」という話題も、なんかピンと来ない。
今までだってビジネスはやっていたし、これからもやっていくので、ビジネスというものの中にいる事は確かなのだけど、私は何のためにビジネスをしていて、何のために会社を建てたのか、なんだか言語化していないまま半年弱が過ぎていきました。
もともと、机上の空論というのは、すべてのはじまりだと思っている。
だって、最初は何かを考え、空想して、調べたりする。それは机の上の事が多くて、そこから人に会ったり何かを共同で始めたりすることになる。
そんな私の個人会社という意味合いがすごく強い形ではじまった株式会社なので(当然ながら非上場です)、なんだか「お金を回すための箱」とか「自分を大きく頑丈に見せるための額縁」という意味合いの会社とは何かが違っていました。
大体さあ、起業したいとかフリーになりたいという人たち向けのコンテンツに、「あなたにとって会社とは」なんて意味づけを問うものは、ほっとんどない。会社をいかにつくるか、いかに儲けるか、っていうのが目的とされている。他にあったとしても「社会的意義は」とか「ビジョンは」「企業理念は」みたいな二番煎じのハウツーコンテンツばかりで。
私にとって、世の中で言われる会社の定義って、ちょっと自分の中のものと違っていた。「私の会社」の定義が違っていた。
私は表現のひとつとしてビジネスをしている。
お金のやり取りというコミュニケーションをするために、ビジネスという手法を使っているだけで、それが映画であったり漫画であってもイイのですが、その表現を商品とそれを販売するという事でやっている。
ビジネスは、参加型のインスタレーションと言い換える事ができると思う。
クライアントのための作業をするタイプのビジネスではない。
最初から、私はパフォーマンスをやっていたわけです。
パフォーマンスアートというか、エンターテインメントというか。
ビジネスにもいろんなパターンがあるけどおおまかにふたつに分けるとこうなる。
職人として品質の高い(あるいは適正な)ものを作るとか、「これやって」というニーズにこたえるとか、ニーズありきの商売。
そして「こういうの欲しかったんじゃないの?作ったよ!」とか「こういう体験してみたかったでしょ!」という提示型の商売。
後者は新しい価値の創造とか言って散々もてはやされているけど、個人的にはそういう商工会議所の青年会みたいな言い回しとはちょっと違うと思っている。
価値の創造というのは、新しい表現という事だ。
誰も見た事がないものを作り出すというのは、その表現で誰かに伝えて、そこで共感なり反感なり、なんらかの情動を起こすものだ。
私はずっとそれをただひたすらやってた。
他に方法がなかった、知らなかったというのがあるけれど、あったとしてもできたとは思えない。
そうやって借金返済のめどになるようなビジネスを立ち上げたり、その後も自分で考えて作ったもので今年は年商1000万円をこえるところにやってきた(途中で法人成りしたから、計上はちょっと違うんだけど)。
それはそれこそ商工会議所で配布されるドラッガーの本とかじゃなくて、自分で考えて、自分にとってベストな、最も多くの価値をひとに感じてもらえる方法だったと思うのです。
お手本になるような企業とか、皆無。
仕方ない。会社とはそういうものじゃないという前提でいるのだから。
なので、いろいろ考えていくと、私にとってビジネスとは大きく引いた視点で見ると参加型のパフォーマンスアートに近いもので、つまり表現なのだと。
ということは、会社というのは表現のひとつの形じゃないだろうか。
多くの表現者(アーティストやクリエイターを自認する人)は、お金と作品は完全に別の存在だと思っている。
表現方法のひとつという考え方は、あまり取られていない。
「そういうものだ」という既成概念があまりに強く、誰も疑おうとしない。
お金がなければ命を失う事も普通にあるので、そこに踏み込める人は少ないのかもしれないし、安全に暮らせている人は踏み込む必要さえなかったのかもしれない。
いいものを作って有名になればお金には不自由しない、好きなだけ創作活動ができる、という文脈でしかとらえられていない。
どうして額縁の中で完結しようとするのだ?
どうして作品をそこまで狭くしてしまうんだ。
私が最初にこの考えを言語化するきっかけになったのは、おそらく宗教画家の作品を見た事だと思います。
勿論イエスキリストや聖母マリアといったモチーフの重厚で荘厳な絵画なのだけど、それは同時に彼がプロデュースした教会の装飾の中にはまってこそ意味がある絵として描かれていたのです。
そこに至るまでのすべてを作品とする。人の動きや人数なんかも含めて、人々の心にキリスト教の教えを伝える(当時は識字率はすごく低かった)という宗教の伝え手としての画家(芸術家)の役割は多くの示唆に富んでいると思います。また、喜捨のような「お金を払う事で穢れが取れる」という考え方=お金をやり取りの代理として使うというのも、非常に興味深かった。(のちに免罪符の乱発などで歴史が変わるほどの大問題になっていくんだけど)
それを現代でやろうとすると、霊感商法みたいな事をするしかないのかと短絡的に考える人が多いようだけど、真っ当な商売でも全然それはできる。
っていうか、商売は真っ当なやり方以外は、帳尻あわないんだよね。
どこかで破綻する(それは個人レベルか、社会レベルか、世代レベルかはわからないけど)。
普通の商売でも、こんな表現者としてのやり取りは可能。
そもそも、ビジネスと表現を切り分けるという考えは、絶対じゃない。それは同一のものであっても何ら問題はないのです。
自分のやっているビジネスという表現方法を、法人格である株式会社を設立することで、「アーティストとしての株式会社」「表現方法としての株式会社」というのが存在していることに気づいたわけです。
これからアーティスト株式会社机上の空論として名乗っていこうと思います。
これにはいい面があって、ひとつの肩書がつくと人は混乱しないで受け止めてくれるという事です。
ついでにアーティストというと、受け取り手が理解できない事であっても頭から否定されることが少ない。話を少しは聞いてもらえる。理解しようとしてくれる。
私がやっている活動は、それだけ見ると幅が広くてあやしいと取られるかもしれないけれど、アーティストなんですというとなるほどとなる。
でも名乗るだけでは足りません。
なので、作品を発表したい(一般人もアーティストだなとわかるような形で)と思います。展示会です。個展です。
テーマはいろいろあるけど、今一番個人的にも楽しくて、見ても買っても意味があるのは、宝飾商材を使ったインスタレーションじゃないかなと。
商売として成り立つというのが、アーティスト株式会社机上の空論の主軸となる活動です。
作品は商品であり、すべて購入ができます(購入することで得られる体験こそが、このアートの最大の表現でもある)。
その上で、展示することでひとつの意味を持つインスタレーションを発表したい!やだ楽しい!
超絶お金のかかる宝飾系の商材なのですが、ある程度資金をおさえてサンプルを製作する事は可能です。だから、展示品は作れると思う(1回に動かせるお金は十数万円レベルしかないけど!)。ただ問題は、ギャラリーを借りたり個展を開催するという事で、入場無料で開催するためにクラウドファンディングで資金を集める必要があるかもしれないなーと思っています。
(リターンも含めてインスタレーションになるようなクラウドファンディングを思いついたんで、超楽しい)
クラウドファンディングは、100人くらいの人にご支援いただける事が目標かな…。値段はたぶん60万円くらい必要だと思う。
インスタレーションは、アーティストだとわかりやすくするための活動になると思うけど、普通のビジネスも今後も安定して提供していく予定で、現在は3年目になる独特なレイアウトの手帳の製作販売がメイン。
とても大切な活動だと思っている。
それを支えつつ、広げつつ、次の段階へ!
表現としての株式会社に!
自分がやりたい事、好きだと感じる事を大切に、関わる人全員(お客さん、仕入先、関係者など)にとって良い方向(儲かったり、いい事があったり、悪い状態が改善したり)にいくことが、私のパフォーマンスなんだろうなと思う。
パフォーマンスアートとしてのお金のやり取り(オノ・ヨーコが自分の服をハサミで切らせたみたいな)をずっとやってきて、だれもそういうものだと思っていないで見ていただろうけれど、やっとわかりやすい形に着地したような気がする。
そして、それがスタート地点。
より自由に、自分らしく、仕事ができるんじゃないかと思います。
「今の時代は、職業=自分でいいんですよね」という話があったけれど、その意味がやっと本当に形として動き出すんじゃないかって、思う。
ここまでの道のりに感謝を!これからの未来にも!
まってろ世界。