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2020年のゲームオブザイヤー(今更)
いつの間にか2021年も折り返し地点が見えてきそうな今日この頃ですが、前年2020年に僕がプレイしたゲームの中で一番面白かったものを紹介します。
ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ……
じゃん!!!
ということで僕的2020年のGOTY(ゲームオブザイヤー)はCelesteというインディーズゲームになりました。とはいえ発売されたのは2018年なので、飽くまで僕が去年やったゲームの中でのベストゲームです。家庭用ゲーム機でしかゲームしないのですが、参考までに去年の総プレイ時間はスイッチとPS4合わせて大体1000時間ほどでした(1日3時間弱やってると思うと怖い)。
去年はコロナが流行ってそもそも家の中でゲームをやることが多かったのに加えて、彼女をゲーマーにすることに成功したので(現在リオレイアをソロで討伐するまでに成長した)二人以上でプレイできるゲームもかなり楽しんだのですが、この「Celeste」の圧倒的な「ナラティブ」の前に惜しくも次点に。
Celesteはいわゆる「インディーズ」と呼ばれる独立系デベロッパーの作品で、「少人数」で開発された「小規模な」ゲームです。とはいえ中身がチャチいかと言うと全くそんなことなく、少人数で作っているからこその拘りがこれでもかというほど光っているゲームです。ともかくまずどういうゲームか見てもらった方が早いと思うので、僕のプレイ動画で申し訳ないですがご覧ください。
記事用 pic.twitter.com/wsBpkjkAh1
— 夕狩 (@yuukari_ashiya) April 23, 2021
操作をするのはマデリンという少女です。彼女は序盤では明かされない理由で「セレステ山」という高い山を登っています。操作は基本的には「ジャンプ」「空中ダッシュ」「崖登り」くらいで、その組み合わせで様々な仕掛けのあるコースを進んでいきます。
プレイ動画だけを見るとなんだかサクサクと進んでいるような印象を与えてしまうかもしれませんが、例えば上のステージ一つで50回は死にます。
調べてみたところ合計で7700回以上死んでいました(チャプター名に若干ネタバレ含む)
ちなみに最後のチャプターはまだクリアできてないです。アシストモードというゲームを簡単にクリアする機能もあるんですが、後述する理由からどうしても使いたくなくて、クリアできるまでゆっくりとプレイしていこうと思っています。(最後のチャプターは後日配信されたもので、エンディングは迎えています)
プレイ動画とか紹介動画を見てゲームをある程度やったことがある人はおそらくこういう感想を抱くんじゃないんだろうかと思います。
「良く出来た2Dアクションゲーム。なおかつ音楽や雰囲気が素晴らしく、リプレイの速さなどの快適性も抜群。良ゲー」
決して間違いではないです。レベルデザイン(プレイヤーの成長速度に合わせた、ステージの難易度のデザイン)は素晴らしく音楽も最高です。リプレイも早いので7700回死んでもイライラしません。
けど、僕はCelesteの一番素晴らしいところってストーリーテリングだと思っています。
「なるほど?意外と登場人物まわりの設定がしっかりしていて、会話も作り込んであって、ひょっとしたら会話の選択肢次第で分岐なんかもあるのかな?」
そんな風に思われるかもしれませんが、実のところストーリー自体はとてもシンプルで少女マデリンがセレステ山を登っていく。ただそれだけです。途中愉快な登場人物たちにも出会いますが、飽くまで最低限です。
では、なぜ「ストーリーテリング」が素晴らしいと思うのか。それはこのゲームが根本的なところで「プレイヤーの体験」と「マデリンの成長」をリンクさせることに成功しているからです。
もっと具体的に言うなら、何度も何度も死んでは、ミリ単位で動きを調整しステージをなんとか攻略しようともがく過程と、一人の少女が寒さと疲労で今にも倒れてしまいそうな中、白い息を吐きながらゆっくりと雪の降る道を踏みしてめていく過程がいつの間にかシンクロしているのです。
ゲームは現代においてリアルな等身の登場人物がとてもリアルな会話なりドラマを繰り広げていています。そのリアルさに没入したり、自分自身がその物語に介入することで「ストーリーが自分自身のものになる」感覚を得ることが出来るようになりました。
けれど一方で、僕が子供だった頃に夢中になったゲームは決してリアルとは呼べないドット絵の登場人物が、何度話しかけても同じことしか言わない村人たちを通り過ぎていくようなゲームです。大人になって色々なことを知った今、それらのゲームは果たして子供だましの過去の遺産なのでしょうか?
Celesteをクリアして、エンディングを迎えた時、恥ずかしながら僕は泣いていました。そうか、ゲームがどんどんリアルになって、村人はいろいろなバリエーションで喋るようになったけど、僕はどこかでその世界を信じていなかったんだと気付きました。大人になるにつれて「ゲームのクリアのコツ」を理解すればするほど、たとえどんなに精巧に、どんなにリアルに作られたものでも、それがプログラムであるという前提でクリアを目指していたんだな、と。
Celesteは僕が失っていた、ゲームの世界で夢中になって、とにかくがむしゃらに前に進みたい! という気持ちを再び思いおこさせてくれていたんだと思います。その過程でいつの間にか僕はこのゲームの世界を信じていた(子供の頃とおなじようにね)。だからこそ、少女マデリンの成長が痛いほど胸に刺さったんだと思います。これがCelesteが「ストーリーテリング」ないし「ナラティブ」に優れた作品だと思う理由です。(ストーリーとナラティブの話は別のところでしているのでよかったら)
と言うわけで、僕の2020のゲームオブザイヤーはCelesteでした。登山というのは孤独で過酷なものだと思うのですが、いざ自分が登ってきた軌跡を見返したときのあのえも言われぬ感情もまた登山の醍醐味ではないでしょうか。僕は今でもCelesteの自分のうまくいったプレイのクリップを見返しては、にやにやしたりしています。
記事用 pic.twitter.com/38WBf76tQo
— 夕狩 (@yuukari_ashiya) April 23, 2021
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