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今日も考え続ける。私に何が書けるのか。
毎週土曜日にある講義がウェブ授業になって久しい。今日もイヤホンを耳にさして講義を受ける。この講座も終わりに近づいている。その前に卒業制作を完成させなければならない、という難題はあるけれど。
この講座を受け始めて半年ほど。どの講師も口を揃えてこう言う。
「自分の強みを見つけましょう。」
「自分なら何が書けるか、何が伝えたいかを考えましょう。」
「奇抜なテーマを選ぶ必要はない。切り口が大事。」
講座を受け始める前、自分は人よりも韓国に詳しい。特にまだ認知度が低い韓国料理をもっと知ってもらいたい、という単純だけれど強い思いから韓国料理系ライターを志していた。
だから私は韓国に関する企画や文章ばかりを提出した。
書いても、書いても「既視感がある」「なぜあなたが書くのか理解できない」「好きなだけではダメ」と講評された。
「ずっと韓国に住んでいて研究している人には勝てない。」
「そもそも知名度が無いのに誰がこれを読みたいと思うか?」
ごもっともな意見だが、韓国での長期滞在経験や知名度なんてどうしようもないやん、と半ば諦めの気持ちばかりが心を支配し次第に情熱がかき消される。そして自問自答し続ける。なぜ自分は韓国について書きたいのか、なぜ知って欲しいのか。なぜ私が書かなければならないのか・・・・。
「自分にしか書けないこととは何か?」今日もこの言葉が画面に映し出された。その探し方のヒントとして講師はこう続けた。
「人生を振り返ってみた時に一貫して頑張ってきたことなんか良いテーマになると思いますし、内容に深みが出ます。」
昔から好奇心ばかりあって「やりたい」と思ったことは全てやってきた。だからこそ色々な経験をしたが、一方で継続して取り組んだことなんてない。半ば焦りに近い諦めの気持ちを劣等感として自分の中にずっとずっと持ち続けてきた。
だから私は永遠に学びたがる。何かしっかり強みと呼べるものを手に入れたくて。探し続ける。
これが私の本質なのだ。
そしてこんな私を見て他の人はこう言う。
「いつも頑張っててえらいね。」
この言葉を言われるたび虚しくなった。ある意味私が勉強し続けるのは、「病的なもの」で、「頑張っていてえらい」のではなく、「性格」であり「本質」だからで、それがまた自分の劣等感を少しでも補うための手法だからだ。
あ、
そこまで振り返ったところで私は気づく。
もしかして私って「勉強」だけはずっと継続してるんじゃないか?
確かに色々やってきた。資格もいくつか取ったし習い事貧乏になるほど自由な時間を削った。(中にはもう今や、なかったことになっているものもある。)でも、パン作りも、フードコーディネーター資格勉強も、マーケティング研究会も、、、、やっていたことは全て勉強ではないか・・・!
ふと昨日の自分のツイッターを振り返る。
10年前
— yuuka*유우카 (@yuukap1n) June 19, 2020
・対面英会話レッスン 週2回 各60分
・洋書を読む 毎日
・単語帳で単語覚える 毎日
・分厚い文法書 数周
今
・Web韓国語会話 週4回 各20分
・youtube レッスン 毎日
・Webニュースを読む
・audiobookで単語覚える
・カカオ、HelloTalk で毎日会話
時代と共に勉強法が変わった。
語学。
成果はどうあれ、これだけは10年以上も継続してやってきたことだった。英語も韓国語も、(スペイン語も)もちろん自分なんてまだまだだが、勉強してきた、使ってきた実績はかなり長いし、思いつくような方法ならなんだって試した。留学だってした。試験でもそこそこの成績は残した。
講義中にこれを発見した時、これまでにない安堵を感じた。
自分にも継続していたことがあった・・・。そしてそれはもっと早く気づいてもよかったことだったし、一番近くにあったはずだったのに。「何を学んだか」ばかりに目が行き、「学ぶという行為自体」については全く考えたことがなかったから。
これまで20年以上抱え続けてきた劣等感を少し和らげてくれる感覚だった。
同時に3月に奈良の実家へ帰省した時に母に言われた言葉を思い出した。
「ないものばかり求めないで、今あるものを見つめ直すのも良いよ。これもある、これもできるって幸せを感じられる。」
その時は全く理解できなかったはずの言葉に時間差で腑に落ちた。長年積み重ねてきた「劣等感」なるものが「できること」や「持っていること」を隠し、自分の中でそれを上書きし削除させてきた。
この自分の性格と向き合った上で、なお今後の人生でも私が「勉強」をやめることはないだろう。
そしてその上でさらなるスキルが身につけば、そっちに思いっきり舵を切れば良い。その時きっと私は新たな方向に向かって誰よりも「勉強」できることだろう。
韓国フードライター
ここからは少し離れるのかもしれないけれど。
韓国語学習
という切り口で、
講座の課題である「書籍企画書」のリライトが書けそうな気がした。
いつか一つ目の企画書が形になる日がくるかもしれないと信じて、これからも勉強し続ける。
そして決してそんな私を褒めないでほしい。