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被虐待児のその後

 虐待サバイバーのゆうかです。
 
 親が子供を虐待したというニュースが、たまに世間を騒がせますよね。

 子供は、虐待された結果、骨折などの大怪我をしたり、ガリガリに痩せ細ったり、火傷を負わされてたり、最悪の場合は亡くなってしまったりしています。

 亡くなってしまった命を思うと本当に悲しく言葉では言い尽くせない怒りと悔しさをおぼえます。

 ただ、生き延びた場合、その子は施設や親戚のところなどに預けられることになるわけですが、私は、命を落とさずに保護されても、そのことを「良かった」とどうしても思えないのです。

 命が助かってもちろん良かったのですか、その命はその先何年も何十年も生きていかなければならないのです。
 目の前に、虐待する親が目の前からいなくなったからといって、苦しみが簡単に消えるわけではないのです。

 人によって、怒りや悲しみや苦しみをどう感じているかは違うと思いますが、簡単に乗り越えられる記憶ではないんです。

 他人から加えられる痛みより、肉親や保護してくれるはずの人からの虐待は、その子の人生に重くのしかかるのです。

 だから、私は、命が助かった被虐待児のその先の将来を案じてしまうのです。

 私は、虐待から逃れて20年以上たつのにいまだに乗り越えられずに苦しんでいるんです。いっそのことあの時に死んでしまえばよかったと思うことすらあるのです。

 それは、命があったからこその苦しみでもあるんです。だから、虐待されて生き残るより、亡くなってしまった子の方が幸せなんじゃないかとさえ、思ってしまうことがあります。
 (もちろん命が何より大切だということはわかっています)
 
 虐待された記憶が残り、苦しみを自分で乗り越えなければならない虐待サバイバーは辛すぎるのです。

 だから、どうかこの世から児童虐待がなくなりますように。

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