高校受験は父の…
虐待サバイバーのゆうかです。
中学生になった私は、父に認めてもらいたくて、毎日猛勉強をしていました。
1年生の頃は、学年上位にはなれませんでした。それでも先生に質問をしたり勉強の仕方のアドバイスをもらったりしながら、必死で勉強をしました。
中学2年生のある日、模試で突然学年トップになりました。
自分でもとても驚きましたし、常時トップにいた女子に、嫌味とも取れる「おめでとう」と言われたことを覚えています。
そこから、自信がついた私は、猛勉強し、グングン成績を伸ばしました。
私の通っていた中学校は、地域でもレベルの高い学校でした。
私は、部活もやっていましたが、必死で勉強もし、成績は学年で常にトップ3に入っていました。
母が、中学の懇談で私の成績が良いことで、「先生に褒められるから自慢だわ」と言ってくれたことが、とてもとても嬉しかったです。
内申も申し分ありませんでした。
体育のみ4で、他は全てオール5でした。
学区内で1番偏差値の高い高校に、トップクラスで入れる実力があった私は、もちろんその高校に入りたいと思っていました。
憧れの高校でした。
自転車で通える距離にある高校でした。
けれど、父の答えは
「姉より上の学校には行かせない」
「家から1番の近くに高校があるのにわざ
わざ遠くに行く必要がないじゃないか」
「高校なんだからどこも同じじゃないか」
でした。
姉が高校を決める時には、姉の行きたい高校、行ける高校、父の行かせたい高校で、揉めていたのを私は見ていました。
姉も、成績は良かったのですが、一番偏差値の高い高校には届かなかったことで、私がその高校に行くことは、叶わぬ夢となったようです。
もちろん全く意味がわかりません。
父は偏差値を理解していませんでしたから、私が偏差値75だと説明しても、
「100じゃないのか!」と言われてしまい、いくら説明してもわかってくれませんでした。
私は、もちろん父の言いなりになるしかありませんでした。
私は、自分の実力よりだいぶ下の高校に、トップの成績で合格しました。
それでも合格発表のときは、私はドキドキしました。
けれど、一緒にいた母は合格発表の張り紙を、チラ見しただけで、「あったね」と言って通り過ぎました。もちろん、後で父に報告した時も合格は当然という感じでした。
合格間違いないレベルの高校を受けたので、不合格になるはずはないのですが、まだ私も子供だったのでしょう。
もっと普通に、合格を喜んでほしかったのです。
家族の誰も喜ばない結果に、せっかく合格したのに、私はなんだかうまく喜びを表すことができませんでした。
これを書いていると涙があふれます。
まだ私はこの気持ちを消化していなかったのだと思い知らされます。
高校では、入学と同時に大学受験を見据えて、部活は運動部には入らず、活動日の少ないパソコン部に入りました。
そして、起きている時間の全てを勉強に捧げました。食事中も入浴中も歯磨き中も、ずっと勉強していました。
私は本当は、中学校でもやっていたテニス部に入りたかったのです。
書いていて、今気付きました。
私は運動が得意ではありませんでしたので、中学では3年間補欠でした。高校に入ってもレギュラーになれないことはわかっていました。
それを高校でテニス部に入らない理由にしていました。
仲の良い友達にテニス部の子がいました。
本当は羨ましくて仕方なかったのです。
書いていて思い出し、涙が出ました。
私は本当は、ただただ、テニス部にとても入りたかったんだと。
その気持ちを押し殺して猛勉強をした結果、常に学年トップをキープしていました。
周りはみんな塾に行き始めました。
私は塾には行かせてもらえなかったので、自分で参考書を選んでは、勉強に明け暮れる日々でした。
私の高校生活後編はまた後ほど。