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何度も殺されかけた母

 虐待サバイバーのゆうかです、

 母は父にDVされていました。
 ピーク時は、毎晩のように殴られていたような気がします。夜中に父の怒鳴り声、母の叫び声と泣き声、物を投げたり壊れるような音、色々な音が聞こえてくるのです。
 
 私は、布団の中で怯えながら、眠れずに長い間色々な音をドキドキしながら聞いていたことを思い出します。

 (今でも寝ている時に階下から物音が聞こえると、急に心臓が締め付けられ、息ができなくなります。)

 そして、朝起きると、母は顔にアザを作っていたり、怪我をしていたり、顔がむくんで腫れていたり、変な色になっていたり、とすごいことになっていました。部屋も色々なもの散乱していて、父も母は一睡もした形跡はありませんでした。

 母は何もなかったかのように、朝食の支度をしているのです。

 母が可愛そうすぎるのと、あまりにも恐ろしすぎる光景でしたが、父が怖くて私は何も言えませんでした。

 そんなことが頻繁にありましたので、母が、夜中にどんなことをされたのか予想はついていました。

 私達姉妹の目前で、母が首を締められたことも何度かありました。

 けれど、母が首を締められていても、私達には力が足りないとわかっていましたし、父に反撃されることがわかっていたので、いつも何もできませんでした。

 けれど、私と姉は下の妹ふたりに、その光景を見せてはいけないと思い、いつも目隠しをし顔を背けさせました。
 大して年齢の変わらない私達の脳裏には、その光景は目に焼き付いているのに、です。

 私が小学生だったある時、いつものように首を絞められていた母が、「グエッ」という変な声を出しました。今思い出してもゾッとする声でした。思い出したくない声です。

 私と姉は、母の限界を感じました。このままでは本当に殺されてしまう!母が死んでしまう!と思いました。

 私と姉は、ふたりで顔を見合わせてから、うなずき、目隠しをしていた妹たちを少し離れた場所まで連れていき、そこで待ってるように伝えました。

 そして、ふたりで泣きながら父を母から引き離そうとしました。力を振り絞って必死でした。
 
 「お父さんやめて下さい!!」と。

 もちろん、私達の力が父には叶うはずもなく、小さなふたりの女子の力では、案の定父はびくともしませんでした。

 けれど、子どもたちのそんな行動に、父は母の首を絞める手を、何故か緩めてくれました。

 母の首にはあざが残っていましたし、顔も変色し浮腫んでいました。
 確かなことは、少なくとも小学生の子どもが見るような、光景でなかったということです。

 この忌まわしい記憶が、私の脳裏にこびりついて離れないのです。おそらく一生忘れることはないと思います。
 人が殺される瞬間ってあんな感じなのかな、と変なことを想像してしまうのです。

 怖くて怖くてたまらないのです。
 
 今、母は、そんなことを忘れたかのように父と過ごしています。母は記憶に完全に蓋をしているのかもしれません。
 
 


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