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恐怖の中でのささやかな抵抗
虐待サバイバーのゆうかです。
私達姉妹は、小さい頃からひとつの部屋で寝ていました。
私の記憶が間違いでなければ、20歳くらいまで、つまり父からの虐待が終わる頃まで、4人姉妹はひとつの部屋で寝ていました。
父は私達を一斉に布団に入れ、電気を消すとすぐに出ていきました。
機嫌が良い時は優しく言葉をかけてくれることもありましたが、機嫌が悪いと、
「すぐ寝ろ!次に来た時に起きてたら許さないぞ!」と怒鳴られました。
いくらなんでも、そんなにパタリと眠れるわけないですよね。
父が部屋から出ていったとしても、音を立てずに、こっそり静かに私達の様子を伺いに来るのです。
私達が、動いてたり、喋ったりしていたら、約束を破ったと言われ、立たされてぶたれるのです。
だから、私達は、すぐに寝るか寝たふりをしなければなりませんでした。
姉妹でおしゃべりをすることも許されませんでした。
私と姉は、小さいうちは何度も怒られましたが、小学生になると布団の中で、上手にコソコソとおしゃべりをするようになりました。
そして、布団にもぐっていれば、父が来た時に、すぐに寝たふりができるようにもなっていました。ある意味楽しい時間でした。
しかし、意地の悪い父は、足音だけでなくドアを開ける物音さえ立てずに入ってくるのです。それでは、気づくことができません。
コソコソ話はすぐにバレてしまいました。
そこで、私は姉とふたりで「指文字」を、あみ出しました。「あいうえお〜わをん」までの全ての文字を10本の指の形で表わすのです。
ふたりでそろを決め、その指を、布団の中で、薄明かりがあれば目で、薄明かりさえない場合はお互いの指をお互いに触り、会話をしていました。
健気すぎて笑えますね。
そうまでしても、眠らずにおしゃべりしたかったんですね。
その指文字は、大人になってから役に立たったことがありました。
私が新幹線に乗り、姉が駅のホームにいた時に、何かを私に伝えようと、口を動かしたのです。けれど私はそれを理解することができませんでした。
すると、姉が指文字を使い始めたのです。
30年以上使っていなかったのに、記憶は一瞬でよみがえり、私達は、ふたりだけの会話をすることができました。
懐かしくてふたりで笑い合いました。
究極の恐怖の中で、私たちのささやかな抵抗が生み出した産物だったのです。
私は、我が子が小さい頃、眠りにつく時は、必ず添い寝し「あなたは私達の世界一の宝物よ。世界一大好きよ。」と毎日のように繰り返し伝えていました。
子供たちはいつも照れたように笑いました。そして、私は、その幸せな笑顔が眠りにつくのを見届けるようにしていました。
まさに、私がそうしてほしかったことを、実行したのです。
そのせいかどうか、わが子たちは、眠りにつく瞬間をとても幸せな時間だといっています。
私は、眠ることが苦手で、毎日悪夢にうなされていますが、その上、眠りにつく時間が、とてもとても嫌いです。
「さぁ、眠ろう」という時間が、なぜか大嫌いなのです。
それが、なぜかずっとわかりませんでしたが、これを書いていて、やっと合点がいきました。
眠りにつく時間は、私にとっては、全く幸せな時間にはなり得ないのです。今も、きっとこれから先もずっと。