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殴るのは見えないところ
虐待サバイバーのゆうかです。
父はよく
「俺はバレないところしか殴らないんだー!!」
と叫びながら私達を殴りました
怪我が目立つと世間にバレるからです。
ただ、何度も近所の方に通報されていたので、近所にはバレていましたが、父としては学校にバレないようにするのが目的だったのだと思います。
私達が殴られたのは、主に頭とお尻と足の裏。
まず頭です。頭はグーでなぐられました。脳振盪になったことも何度もありました。立ち上がれずにいると、さらに怒られました。倒れた私は、怒られないようにクラクラした頭で、必死で立ち上がるようにしていました。頭はコブができても髪の毛で隠れるから外から見たらわかりません、脳振盪も証拠が残りません。殴ったんだと思います。
一度、お風呂の中で、頭を思い切り殴られたことがありました。水道の蛇口に頭を打ち付けて、起き上がれなくなったこともありました。父は手をかしてくれませんでした。私が立ち上がれるようになるのを見下ろしていたのを覚えています。
次にお尻です。お尻はホウキの柄で思いっきり叩かれました。お尻にくっきりと柄の跡が何個もつきます。当時の小学校の身体検査では、下着姿ににされ保健室に並ばせられるという今なら問題になりそうな状況でした。
それでも、診察時、上半身は脱ぐこともありましたが、さすがにパンツを脱がされることは絶対にありませんでした。そういう理由で、お尻を選んだのだと思います。当時の私は、お尻は柔らかい部分だから痛みが少しマシだからかな、と訳の分からないことを考えていました。
その次に足の裏です。まず、四つん這いにになるように命令されます。すると父は私達の足首を掴み、ホウキの柄で足の裏の土踏まずを、パンパンパンと多いときは数十発叩かれるのです。
どんなに泣き叫んでもやめてくれません。
足の裏は赤くなり腫れ上がります。土踏まずが膨れ上がるので、足の裏全体が床につかなくなります。次の日は学校に行くときに、靴が履けなくて困ったことも何度もありました。姉の靴を借りたこともありました。それでも足が痛くて普通には歩けないのです。ただ、そのことは父にバレないようにしていました。
このように、私達が前日どれだけ殴られても、学校では誰も気づきません。私達も誰にも言いませんでした。誰かに伝えれば、父のさらにひどい仕打ちを受けるとわかっていたからです。
腕にすら、痣を作ることはなかったので、私達が虐待されることは、学校に疑われることは決してありませんでした。当時の私は隠せてホッとしていました。今思えば、バレていたほうが良かったのではないかと思っています。
もうひとつ、ふくらはぎに針を刺されることもありました。父はまち針を常にスタンバイしていて、不意打ちに私達のふくらはぎに針を指すのです。
これも跡は残りません。今思うと父は計画的に私達を虐待したのかと思います。父の作戦は完璧でした。