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10年前のあの頃に、想いを馳せながら聴いた夜。


昨日、わたしの名刺代わりとも言えるような曲を、はじめてフルで、目の前で、だいすきなお家で、聴かせてもらった。

事前に、曲の1番はもらってたから、毎日飽きることなく聴いていたのだけど、2番以降は、どんな歌詞になるのか、あえて想像しなかった。

絶対に素晴らしい展開になるのは確信していたのだけど、当日聴いたその曲の2番以降は、もしわたしが想像したとしていても、それを遥かに越えるようなもので、わたしのどまんなかをぴったりと言い当てていて、誰も見ているはずのないひとりで遊んでいる時の様子や感覚さえ、1mmも違うことなく表現されていたことには、本当に驚きと感動と、涙が止まらなかった。

一連の歌詞は、30年間生きてきたわたしの人生そのものであり、コアな価値観であり、自分と向き合うことであり、大切な人を愛することであり、絶望と希望が混じり合うこの世界で一緒に生きていく感動を感じ合うということであり、あまりにリアルな感覚だった。

自分の目に映る世界が本当に美しくて、どこまでも素晴らしくて、奇跡と感動に溢れていて、例え絶望さえも愛しいと想える。

そんな世界観を、どうしたらもっと多くの人と感じ合えるんだろうと、とても長い間、切望してきたのだけど、その曲は今世、わたしの人生において、それを表現するのに最もベストな選択肢だと思った。

わたしのことなんて、わたしがいちばん知っているはずなのに、それ以上に理解してくれている人が存在するのは、信じ難いけど、かけがえのないスペシャルな現実。


そしてさらに驚いたのは、今回のnoteの本題になるのだけど、その曲を歌ってくれたシンガーソングライターの優好ちゃんが、「自分の名刺代わり」という曲も歌ってくれて、それがどこまでも彼女のまんなかを歌っており、世の中に存在する素晴らしいものは、こんな世界観から創造されるのだと思うほど、「本物」だったこと。

そしてその曲を、昨日の夜中、わたしたちが出逢ったWEBデザインスクールの卒業前々日、最終課題の合間に、改めてひとり聴き直していたのだけど、聴けば聴くほど、

ああわたしも記憶の遥か昔に、苦しくてどうしようもなくて、誰かを頼りたくて、でも頼ったとしてもいちばん大切なところが満たされるわけでは決してなくて、それでも生かされていて、どこまでも愛し愛されていて、自分の内側がどんなに目まぐるしく変化しようが、この世界の美しさも、絶望も変わらなくて。生きることと等身大で向き合う、そんな気持ちを思い出したのだった。

(結果、最終課題は終わらず途中提出。笑)


優好ちゃんも、その曲は10年前に生まれたと話してくれたのだけど、うんうん、誰しも人生の過程で、そんな風な「章」を経験することはあるよねって思いながら、気づけばわたしの人生でいちばん苦しかった時期も、ちょうど10年前だなあと。

わたしたちは、同じ時期に同じくらいの強さの傷みを感じて、10年という年月が経った今必然的に交わり、こうして化学反応を起こしてると思うと、なんていうか、ものすごく宇宙の鼓動を感じた。

そんな当時のわたしを振り返って、今感じる気持ちを言葉にしてみたいと思った。




その頃わたしはシンガポールにいて、人生でいちばん辛くて苦しくてしんどくて息ができないと、自信を持って言える世界の中を生きていた。


元々、念願の交換留学を実現することができ、別の国で10ヶ月ほど過ごしていたのだけど、勉強するのに十分な時間と、環境と、国からの補助金を手にしていたにも関わらず、わたしは最後までやり切ることができなかった。

現地のキラキラした遊びや交流に夢中になり、当初の「グローバルで活躍できるほどの英語を習得したい」という目標は、とても中途半端なままに、不完全燃焼として終わってしまった。

日本に帰国後、世間はみんな就活をしていたのだけど、わたしはどうしてもやる気になれず、「このまま社会人になったら、一生後悔する」という気持ちだけが残り、それを払拭したい一心で、「人生で最も過酷な環境で修行をする」か、「憧れ続けてきた世界一周」をするか、悩みに悩んで、前者を選んだのである。

就活をせず、大学に提出した休学願



休学するにあたって、親と戸籍を抜かれるかと思うくらい大喧嘩したのだけど、最終的にわたしの人生ということで、わたしの「不完全燃焼感」は、そうすることでしか手放すことはできないという結論になった。

そして、帰国から半年後にはシンガポールのスタートアップで働いていたのだけど、それが想像を絶するほどに辛い期間だった。


あまりに厳しい海外の環境すぎて、そもそも働く時間も1日20時間ほどが当たり前だったし、早朝から深夜(もはや朝方の時も)まで、帰り着いた時にはお部屋の前にあるソファに倒れ込むようにして寝てしまったことも、多々あった。

本当に今だから言えるのだけど、同じ時期に働いてた数少ない同期は、ストレスがからだに出て蕁麻疹のようになったり、メンタルが限界に達してしまって途中で帰国せざるを得なくなったり、あまりに日本で当たり前だった日常とは異なるもので、こころもからだも悲鳴を上げるような、でもものすごくポジティブに捉えるとしたら、絶好の精神修行のような環境だった。(まだまだエピソードは沢山ある)

それで、周りには相談できる日本人もおらず、そもそもそんな時間もなく(幸いなことに、一緒に働く現地の外国人スタッフがとても優しく接してくれて、支えられたし乗り越えられた)、最後の2ヶ月ほどは本当に孤独で潰れそうになる夜を繰り返し、そのタイミングで、遠距離をしていた恋人とあまりに世界が違いすぎて将来が見えなくなったことから、お互い愛し合ってるまま別れたりした。その期間にわたしの心は張り裂ける寸前となり、毎日眠る時に泣いていたのだけど、それでも仕事は来るし、自分が責任者である以上、休むこともできない。


店長として、夜通しでつくった運動会のお弁当500個
自分の足でお客さんへ向かうデリバリー、外はキラキラ
バスから見える景色、見ながら沢山内省した
辛くなった時にいつもひとりで訪れていた場所。


2014年当時、あまりに苦しすぎる気持ちをevernoteに書いていて、10年ぶりに見返してみたのだけど、吐き出し場所がない、正確にいうと誰かに吐き出す時間さえないまま毎日が瞬殺で過ぎて行く、そんな日々を綴っていた日記が、本当に切実。笑

10年前、シンガポール時代の日記やまとめ

わたしは

お互いがいなくても平気になってしまう
2人の関係性に、慣れたくなかった

この選択が正解だったものにするために

努力して
努力して
必死に頑張って

見た目も、心も
綺麗な綺麗な人になれるように

色んなことに挑戦していって
新しい世界に飛び込んで行って
凛とした強さをもって
幸せと刺激を感じながら
与えながら

わたしらしく
輝いて輝いて、輝き続ける。

自分自身とも、そして愛する人とも、こんなにも向き合って、自信を持って、苦しさを乗り越えたと言えるのは、今だからこそ、本当に必要な経験だったと思える。

最終的に、最後の最後までやり遂げ、日本に帰国し、当時の経験を踏まえたエントリーシートや8回の面接で第一志望の企業に一番乗りの内定をいただくのだけど(今振り返ると、それ相当の経験を乗り越えていると感じる。笑)、激動の期間だったけれど、晴れて、わたしは自分の中にあった「不完全燃焼感」を払拭し、手放すことができたのだった。

22歳、帰国報告のFB投稿①
22歳、帰国報告のFB投稿②


どんなに苦しくても、自分の望み通りにやり遂げることができたのは、そこに納得する実感が持てたのは、わたしの中にある「不要なもの」を手放したい、手放す必要があるという、強い信念があったからなのかもしれない。

後にも先にも、この時ほど物理的にも精神的にも辛い時間は存在しなくて、まさにわたしの人生のどん底だったと言える。

同時に、おかげさまでとても強固なメンタルを手に入れたおかげで、それ以降の人生で起こる様々な試練も基本的には乗り越えていけるようになったし、ちょっとやそっとじゃ心折れないような強さと、どんな環境にも適応できる柔軟性、全てのことに愛と感謝を感じれる心、そしてもはや外部要因に影響されないような、揺るぎない本質的な豊かさや、確かに実感する幸せを手に入れることができた。

過去に、しかも22歳とかなり若い内にこんな経験をしているので、わたしにとって「幸せのハードル」は、今でもとても低いところに存在している。それは、世の中の全てを受け入れることができたり、愛と感謝が止まなかったり、絶望さえも自分のものにできるわけだな、と。




と、優好ちゃんの「名刺代わり」の曲を聴いて、遥か昔、10年前のそんな自分のことを思い出していたのだった。

それで、きっとわたしたちが本当の豊かさを得るために、必要不可欠なのではないかと思った、5ステップについて。

1. 自分の苦しさと向き合うこと

例えば、わたしの場合は留学生活での勉強をやり切ることができないままに遊んでしまって、このまま社会人になったら一生後悔すると思うほどの強い「不完全燃焼感」を抱いていた。

それをみて見ぬふりをして先に進むことは、自分に嘘をついているということとイコールだったから、向き合うしかなかった。

2. 苦しさを手放すための行動選択をすること

その強い「不完全燃焼感」を払拭するために、海外インターンか世界一周で悩み、留学生活よりも厳しいハードな環境で修行をして、本当は乗り越えたかった自分を乗り越えるという決断をした。

3. これから起こる全ての覚悟すること

事前に、過酷な環境と聞かされていたので、たとえどんなに大変なことに見舞われても、そこで起こる全てのことを乗り越えるという「強い覚悟」を持って臨んだ。

どれだけ辛くても苦しくても、わたしの中にあった唯一の支えは、「自分がした覚悟」に他ならなかった。

4. そこで新たに感じる苦しさをしっかりと感じ切ること

言い換えると、自分の気持ちを全て言語化し、誰にも見せなくて良いので描き尽くすこと。

想像以上の苦しい現実が待ち受けていたけれど、そこで起こる全てと逃げることなく、しっかり自分の感情と向き合った。


5. 感じ切った後に、手放すこと

日本に帰国後、わたしの場合は就活というツールを通して、今回の経験を徹底的に深掘りし、なぜやろうと思ったのか、何が大変だったのか、どう努力したのか、結果的に何を学んだのか、自分とは何を望み、どんな人間か、などを全て洗い出した。

今思えば、そうしてエントリーシートのようなものに可視化し、面接などでアウトプットすることを通し、わたしは「強い不完全燃焼感」を手放していたのかもしれない。




ここでのエピソードはあまりに極端かもしれないけれど、まずはしっかり自分の内側にある苦しさと向き合い、それを手放すための行動選択をし、全て感じ切り、そして最終的に手放すこと。

こうすることでしか、わたしたちは豊かさを手に入れられないのではないかと、かなりの高い確度で、そう感じた。


ただ、優好ちゃんの曲で伝えていることは、そしてわたしも同じことを想うのは、なんのためにそこまでして、自分の苦しさを乗り越えるのかということ。


今のわたしの人生のテーマは「唯一の自分を生きる」なのだけど、それは同時に、自分の内側と向き合い続けることであり、自分らしさを選択し続けることであり、

でもそれを大切にする理由は、自分で自分を愛せるようになったそんな自分で、今度は愛する人を守れるくらい、強くなりたいから、という答え。

結局、どこまでも自分自身を追求する理由は、自分自身を愛する理由は、その先に、守りたいと想うほど愛する人が存在しているからという、そんな素敵な世界観であり、結局のところ、言動力は愛であるということ。

この世界の全てを愛したいと願うなら、自分の内側にある、光も闇も、感じて受け入れ、自分のものとして存在を認めてあげる。つまり、自分は世界そのものであり、愛する人そのものであるということ。

これはきっと、本当に自分自身と向き合い続けた人にしか辿り着けない景色、感じれない感覚であるように思う。


だからこそ、わたしはそんな景色を一緒にみれる人と生きていきたいし、その美しさに、いつまでも感動していたいなと思う。

そんな、美しさを感じる曲でした。

優好ちゃん、優好ちゃんのまんなかを歌ってくれてありがとう。

改めて、人生でいちばん辛かった一章を、愛することができました。

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