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生まれた時が完成形なのに、私たちは。

心が震えて止まらないような瞬間を、
私たちはあと何回味わうことができるだろう。


自分の宿命を受け入れた瞬間、
必要なピースがどんどん動いていく。

きっと私たちは生まれた時が完成形なのに、
その時はただ「この世界を生きていた」だけだったのに、
大人になるにつれて正解を求め、
自分や目の前の物事、人生さえもコントロールしようとし、それができると思い込む。

そしていつの日か
「ああそういうことじゃないんだ」と気づき、

コントロールできるという概念を手放した時に初めて、「ああ私たちは最初から完成してたんだ」ということを、思い出すみたいだ。




そんな今日はものすごい瞬間を味わって
ずっと抜けたくない余韻の中にいるのだけど、
時間とともにその光景は色褪せていき
夜になるともう、その時の20%くらいしか感じれない。

「やってみなさい」という言葉に
理由もなくまた涙が溢れて止まらなくて、
最近のわたしはどれだけ泣いてもまた泣く。笑

この世に誕生した瞬間、
私たちが生まれたばかりの頃きっと泣くことに理由はなくて、
「ただ泣きたいから、泣く。」
以上。理性ではないそんな感覚と殆ど同じだと思う。笑

この先何十年という時間をかけて
人生が大きく変わる瞬間に、まさに今いるから、もはやとても当たり前のことのように思えてきて、自然に身を任せているのだけど。



不特定多数の人へ発信し続けるということは、
一生叶わない夢の中を生きるのと同じだと思う。

決してネガティブに捉えているわけじゃなく、
あるディープな世界観で切り取った時の、事実だと思う。

自分がみてる世界を理解してもらうことは、最初から不可能だと知っていること。

どんなに伝えたくてもそのままぴったり伝わることはないこと。

「そうじゃない」と何万回言っても足りないくらいの誤解を生み出し続けること。

それが当たり前すぎるくらい当たり前なのに、それでも。

それでも、奇跡的に理解してくれる人がいて、
理解しようとしてくれる人がいて、

わたし以上にわたしを見抜いてくれる人がいて、
気づいてくれて、気づかせてくれる人がいて、

応援してくれる人がいて、
何かあったら戻ってこれる場所があって、

そんな「奇跡」に感動が止まず、
ほんとうにありえない世界を生きてることに
ただただ、呆然としてしまうくらい。

そして必要な全てが揃った時に
チャレンジする以外の選択はなく、
自分が「生かされている存在」であることを知る。

表現活動をするその過程で、1%でもみたい景色がみれるなら、わたしはそこにベットすると、今なら断言できるのもまた変化。

そして世の中の表現者はきっと、そんな極端な喜びと葛藤の中でこそ、素晴らしい作品を生み出していくんだと思う。



わたしがみてる世界に存在する

奇跡と感動

お金に依存しない豊かさ

本質的な愛

生きる意味

人生の目的

仲間との分かち合い

ディープな繋がり

スピリチュアル性

アートな生き方

ブレない信念

自己表現

精神的かつ経済的な自立

パートナーシップ


決して当たり前でないそれらが当たり前に存在する世界を、わたしはどれだけカタチにしていけるのだろうか。そんな挑戦。

もう、誰から何をどう言われようがやるしやめないと決めてしまった今、何の迷いもない自分は、既に新しいスタートを切っているみたいだった。

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