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「君へ」という曲が見せてくれた10年の景色

9月1日。
みんなのおかげで、また1枚のCDを世に出すことができました!

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 そんな今日は、1年の中で10代の自殺が一番多い日です。
学生にとって「1年で1番絶望の日」と言ったら言い過ぎかしら。

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※(自殺総合対策推進センター昭和48年度から平成27年度における、通学適齢期の自殺者数に関する分析」より)

 
 そんな9月1日にどうしても何か1つ希望の布石を置きたくて、1年かけて何かしたいと狙いを定めてきた今日でした。

 この1か月、色々なSNSを通して『僕らの夏の物語』に関してたくさんお話ししてきました。素敵なMVも作っていただけました。


今回は、両A面である今回のCDのもう1曲『君へ 2020ver.』について書いてみたいと思います。

今年の5月頃、今回の音源のレコーディングをしました。

「新しいバーションをレコーディングしたいけど、大して昔と変わっていないかもなぁ。。制作する意味ないかもなー」と思いながら、それでも!と思い、渾身の想いを込めて歌入れをしました。
そして完成したものとYouTubeの過去の音源を聞き返してみてびっくり。

まるで別人!

 いつも私の歌を聴いてる皆さんの方がとっくに気付いていたかもしれないけど。なんでしょう、6年という歳月は私を大人に変えたようです(笑)

「歌は変わらないよ。声帯の作りや音感やリズムのセンスは生まれ持ったものがほとんどだよ。」と過去に何度も言われてきたので、歌はそういうものだと思い込んでいたのですが、「表現力」という部分は、もしかしたら果てしなく伸ばしていけるのではないかと!新たな活路を見出した気分です!(笑)

 そんな風にして今回改めてレコーディングし直してみて、この曲は私の音楽人生をずっと側で見ながら、感じながら、一番の影響を受けながら、一緒に成長しながら歩んできた戦友なんだなと思ったのです。

嬉しいとも違う、感慨深さ。

 人って気付かない間に、自分が思っているよりいろんなことを吸収して、ちょっとずつ、でもあっという間に変化していっているのかもしれませんね。

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「日記」から「みんなの曲」へ

YouTubeに上がっているこちらの動画が投稿されたのは、2014年の8月のことでした。


ある日「社会音楽家プロジェクト」というものに出会いました。

『音楽で世界を変える』


 音楽を始める前から、ずっと密かに心の中で唱えていた言葉が、一語一句違わずどーーーん!とそこに書いてあって「これは何かが呼んでいる。。。」と思った私はすぐに連絡のメールを送りました。

 そこで「元不登校生シンガー」という肩書を持って、Facebookのダウンロード配信やYouTubeを通して「君へ」という曲を世に出すことになります。

 当時Facebookを中心に展開されていた社会音楽家プロジェクトは、私が参加した頃には企画自体にもう7千人近くの「いいね!」がついていて。
 片手で数えるくらいしか人前で歌ったことがなかったにも関わらず、私はいきなりそれだけの数の人たちに曲を聴いてもらえるチャンスをもらったのでした。

 そして、それだけ「評価される」立場にも立ったことに動揺していました。

 社会音楽家プロジェクトの運営さんから「動画の再生回数やSNSでの認知数が一気に上がると思うけど、心の準備できてる?」と言われ、ほとんどプライベート用に使ってきていたSNSを片っ端から見直し、人の目に触れたらまずいものはないかのチェックに勤しんでいたのを覚えています(笑)

 その頃はまだ「不登校」や「引きこもり」だった過去はほとんど公表していなくて、心の準備はしていたものの、曲の評価と同時に「自分の人生まるごと」評価を受けることに自分の心が耐えられるのか緊張していました。

 YouTubeで動画が公開されると、どんどん上がる再生回数にワクワクしながら、コメントに書き込まれるみんなの感想の一語一句に震えました。

 「日記のように、自分のためだけに書いた曲」とよく言ってますが、今はそうは言ってもそれなりに、人に聞いてもらうものとしての最低限の心の準備ができた上で曲を披露しています。なんかあった時に傷付かないための予防線として。ここだけの話(笑)

 でも当時の「日記のように」はまさにそのままの意味でした。

 誰にも言えない言葉を歌に冷凍保存するように書き留めていたので、それを評価されることがすごく怖くて、心の内をさらけ出している曲ほど心を開かず歌い、人に聞かれることを避けていました。

 そんな中何の巡り合わせか、当時の私の一番の心の内を記した曲があっという間にたくさんの人の目に触れることになりました。
 それまでずっと言わずにいた「10年選手の不登校生・ひきこもり」の話も相まって、私という存在が世の中にどのくらい受け入れてもらえるのか、本当にドキドキしていました。

 小学生の頃、転校をきっかけにクラスに馴染めなくなってしまい学校に行きにくくなったのですが、子供の私にはみんなに受け入れてもらえない理由が何故なのかわからず、その頃から「"ありのままでいると嫌われる人間"として産まれてきたんだ」という感覚がすっぽり入っていました。
 とにかく自分の本心の部分は表に出さないように、悟られないように、大げさに言えば「演じて」生きてきたので、心の奥底を言葉にした曲が世間にどう取られるのかが、余計怖かったのです。

 精神的に、今よりもSNSに対して免疫が全くない中、書き込まれていくコメント、増えていく再生回数から目を離すことができず、この年のお盆は結局地元に里帰りもせずに、家で毎日携帯を眺めては、緊張の日々を過ごしていたことを覚えています。

 そこからは、本当にたくさんの方に聞いてもらうことができ、思いがけない嬉しい感想もたくさんいただき、「日記」だった曲が「みんなの曲」になっていく感覚がありました。

 「勇気をもらいました」「子供に聞かせたいです」そんな嬉しい言葉をたくさんもらって、心配していた「ありのままの自分を受け入れてもらえるのか」ということ以上に「ありのままをさらけ出したら、それを希望にしてくれる人がいる」ということがびっくりでした。

 自分の勇気が誰かの光になる。そんなことも「君へ」が教えてくれたことの一つです。

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「今がすべてではない」 

 この曲を書いたのは、確か2011年頃だったと思います。

ライブでは何度も話してきましたが、Facebookに地元の友人から連絡が来て、渋谷で十数年ぶりに会うことになりました。

一番の暗黒期だった小学校時代のクラスメイト。
何を話したらいいんだろう…と恐る恐る会話を進めると、思いがけない言葉が自分から出てきました。

 大都会東京のど真ん中でお酒を飲みながら、後ろめたくて目も見られなかった友達と、笑いながら「あの頃、私浮いてたよねー!」と話せている自分に驚愕しました。
 きっと、ちょっと強がっていた部分もありますが、ミュージシャンとして自分の道を見つけて歩き出して、決して順風満帆ではないけど、過去の暗かった時間に開き直っている自分を頼もしくも思いました。

 一緒に食事した友人からも「あの当時、子供だったから何もできなかったけど、ずっと学校に来ないことが気にはなっていて。だから今こうして連絡したんだ。」というようなことを言われ、小学生の当時は"誰も私のことなんて見ていない”と思っていたのですが、心の片隅に置いておいてくれた人がいたのかー!とそれも衝撃でした。

 そんな時思ったんです。

もう、あの頃のことは「過去」なんだなー

って。

 不登校していた時、一番怖かったのは「この時間がいつまで続くんだろう…」でした。下手したらこのまま人生が終わる、と10歳の頃は思っていました。

 いつの間にやらそんな気持ちは忘れていたのですが、この時感じた

時間が解決することがある。
知らないうちに過ぎている悲しみもある。
今、前向きに生きている自分がいれば昔の自分も報われる

だから、人生の全てに絶望しなくても大丈夫だーーーーーー!!!!!

という気持ちを、子供の頃の自分に強く伝えてあげたくなりました。

「今が全てではないから」「未来が君を守るから」
はそんな気持ちから出てきた言葉です。


 その日、渋谷での出来事をぼんやりと考えながらお風呂に入っていたら、サビの言葉とメロディーが降ってきて。慌ててノートとペンをとり、お風呂の蓋を机にして書き出した、そんなアルキメデスのような曲がこの「君へ」の誕生秘話です(笑)

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「胸を張って逃げればいい」「そんなに甘くないよ」

2014年にYouTubeに動画を投稿した時に、そんなコメントが目につきました。今も残ってるので見てみてください(笑)

この曲の歌詞は1番は子供に向けて、そして2番は「大人に向けて」歌っています。

 当時、この曲はハタチそこそこの私が「学生時代の自分」に向けて書いた曲でした。
つまり、2番の歌詞の方は大人はきっとそうだろうという『仮説』で書いたのです。もっと言うと、これから自分が進む道がそうであって欲しいという『願い』で書いた感覚でした。

 そして投稿してみると、人生の先輩たちからの「大人はそんなに甘くない」という言葉。

 今だから言えますが『ですよねー』という気持ちが無かったわけではありません。やっぱそうかー。この曲を確信を持って歌うには、まだ自分自身が曲に追いついていないのかもなぁ。という気持ちがどこかにありました。

 20代前半に書いた私の曲はけっこうこの『仮説』の側面が多くあって。
自分の心の内側にフォーカスして見えてきた景色の中で見つけた「きっとそうなんじゃないか」や「そうに違いない!」という気持ちを歌にすることが多かったのです。(なんせ引きこもりなのでそれしかデータが無い笑)

 そんな歌を携えて、じゃあ自分以外の世界はどうなんだろう!本当にそうか確かめたい!という証拠集めのために、2015年からライブをしたりツアーをしたり、広い世界を知るために音楽活動をしてきたようなところもありました。

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手放して見えたもの

 そんなこんなしている間に、2016年に歌いすぎて声帯にマメのようなものができてしまう声帯結節というものになりました。
のどの調子が良くないなと思っていたら、ある日ピタっと声が出なくなって、喉からいつも息が漏れているような感覚でとても苦しいのです。

 そして治療のために薬を飲むと、今度はその副作用で1週間で10キロくらい太り、寝れない、食べれない、息できない、鬱の症状というどうにもならない体調不良になってしまいました。
 薬をやめても症状は治まらず、声帯の手術もして、歌も歌えなくなり、アルバイトも辞めざるを得なくなり、生活できないので家も引っ越さざるを得なくなり、ようやくミュージシャンとして活動できる!というタイミングで、せっかく社会音楽家プロジェクトで培った全てを手放さなければならなくなりました。

その当時書いた「生きるとは」という曲。
「生きるとは手放すこと」という歌詞を何度も繰り返すのですが、全てが手のひらからすり抜けていってしまったそんな自分に、これで大丈夫。と言い聞かせるように書いたのかもしれません。

そこから、この3年は自分にとってリハビリの期間でした。
もう無理かもなと思っていたタイミングも何度もありました。

でも、そんな風にして全てを失ったあとに残っていたのは、そんな私を見捨てずにずっと応援してくれて励ましてくれた当時からのファンのみなさんでした。

そして新たに出会った人生で最高とも言える仲間たち。
自分のペースで、決して派手ではない活動のタイミングでも、私の歌や心に反応して新しく私を見つけてくださった皆さん。

いろいろを手放したからこそ、本当に本当にかけがえのないものが見つかりました。

それまでは、全部自分でやらなきゃ!と思っていた私ですが、今度は周りの人を信頼して、時には甘えて、時には頼って、たくさんの力を借りながら、できてしまった穴を一つ一つ埋め合わせながら、体調や心や生活も建て直すことができました。

 大人になって、またしても1度全部を手放すことになり、そしてそこから心と体をチャージして、もう一度立ち上がろうと思えた今だから言えるまた新しい「大丈夫」があります。

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「胸を張って逃げればいい(実証済み)」

子供も大人も関係なく、やっぱり「胸を張って逃げればいい」のです。

歩くのに疲れたら、全て脱ぎ捨てて休めばいいのです。
孤独で寂しいなら、届くと信じて叫べばいいのです。

 ある側面から見れば甘いのかもしれないけれど、その選択の先にもちゃんと活路があることを私は経験しました。
 荒療治かもしれないけど、むしろめちゃくちゃ純度の高い「大切なもの」が落ちている道を見つけることができました。

「逃げている」ではなく「選んでいる」のです。

逃げずに立ち向かえるのなら、それはとてもすごいこと。
でも、どうにもならないのなら一度方向を変えてみることだって立派に向き合っていることだと思います。

と、そんな偉そうなことを書いていたら、中1の時の文集に不登校をして違う学校に転校した時の気持ちがそのまま書いてありました。(笑)

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18年くらい経ってますが、何も変わってませんでした(笑)
でもこの頃より何倍も確信があります。

 この時初めて教わった「胸を張って逃げればいい。それは選択だから。」という気持ちを、らせん階段のように何度も何度も上塗りして「やっぱり」を積み重ねている気分です。(笑)



2015年のアルバムでリリースした「君へ」と今回の「君へ 2020ver.」。

歌詞は変わっていませんが、当時『半分は仮説』だったこの曲がこの3年間を通して『すべて実証済み』に変わりました(笑)

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「今が全てではない」。でも今には全てがある

 人生には誰でも、いい時もあれば悪い時もあります。

 どんなに努力して積み上げても、自分の力ではどうにもできない問題がやってくることだってあります。
 それをひっそりと、でも精一杯やり過ごした先には必ず「あの時があったから…」の瞬間がやってきます。
このまま終わらないんじゃないか。と思える「今」にも必ず終わりが来ます。

そんな時、あの時のせいで。と思うか、あの時のおかげで。と思うかで見える景色は180度変わります。

 過去は変えられないとよく言いますが、それは「過去に起きた事柄」のことで、その「意味合い」はどうにでもなります。

それを決めるのはいつだって「今」です。

過去、現在、未来なんてあってないようなもの。
ある地点と比べて…という感覚であって、そこにあるのはいつだって「今」です。

「昔の自分」を労うための「今の自分」。
そして「今の自分」がより有難く、幸せに思えるための「昔の自分」。
そんな風になるように「時間」が寄り添っているのだと思います。

ちょっと哲学的になり過ぎちゃったかな。(笑)

要は、「今」の心ひとつで過去の自分がどうだったか、未来の自分がどうか、を決めることができるということです。

ハンドルはいつだって「今の自分」が握ってるのです。

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「時間」が伝えてくれること

今回のCDに収録されている曲は、あまり意図していませんでしたが偶然「時」をテーマにした2曲になりました。

「時間」が伝えてくれること。
それはきっと目に見えない何かを超えた、心の在り方の世界なのかもしれません。

そこはいつも自由で、自分の人生には無限の可能性があって、ハンドルを握っているのはいつだって今の自分で、儚いけどとっても優しいなぁと思っています。


「君へ」という曲が生まれて10年。
本当にたくさんの景色を見ることができました。
きっとこれからもこの曲が私を色んな気持ちにさせてくれることでしょう。

そんな曲を今日9月1日に世にもう一度放てたことは、私にとっては「やっぱり大丈夫」の証明でもありました。

自殺を選ばざるを得ない子たちがたくさんいるというこの世界の中で、私はこの「やっぱり大丈夫」を何度だって証明していきたいと思っています。

どうにかこうにか「しんどい今」をやりすごした先に、必ず「優しい今」が待ってます。

みなさんの「今」も過去や未来を輝かせるような、「優しい今」でありますように。





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