ぶち当たる壁♯5
新型コロナで体育館が使えなくなった8月。再び子供たちが集まれたのは、それから2ヶ月を過ぎた頃だった。
暑さが過ぎて紅葉の美しい季節へと移りかけていた。
夏休み中の第1回バレー教室のあと、町からチームへ補助金が出る事になり、実質、体育館が無料で借りられる事になった。
それからすぐに体育館が解禁となったので、保護者に連絡し参加者を募ってみた。
しかし集まったのは3人だった。
まだまだ新型コロナの感染者数も伸びていて、変異株も出始めていた頃なので、保護者も神経をピリピリさせていた。
ようやくワクチン接種も普及し始めていたし、それでもバレーのやりたい子がいるのなら…と対策を練り、行政とも相談、連携を取りながら、練習を始めてみる。
来ようとしていたけどそのまま会えずじまいの子も何人かいた。
そんなある日、体育館の前に沢山の子供たちがいた。
その子たちは私を待っていた___。
『コーチ!!みんなと練習に参加してもいいですか?』
元気のいい女の子の声だった。
保護者の了承も得ているとの事で許可した。
もちろん受付時に連絡先等を記入してもらい、熱も測ってもらう。
人懐っこい子供たちばかりだ。
これを皮切りに5年生がぞろぞろと参加するようになる。
みんな楽しそうにバレーと触れ合っていた。
コーチ陣がネット設営、受付をしていると、子供たちからは『ボール触ってもいいですか?』と毎回、声がかかる。眼はキラキラと輝いている。
『もちろん!』と夢にまで見た会話が飛び交う。
こうやって、コチラから何かさせるのではなく、子供たち側からどんどんバレーボールをして欲しかった。そうゆうチームにしたかったので本当に嬉しかった。
着実にチームとして歩を進めていた。
様々な契約書も作成した。
月謝などの細かい金額などもコーチ陣で話し合い、1つ1つ決めて行った。
この時、1番擦り合わせが難しかったのは月謝だった。
この辺のバレーボールクラブは大体月謝が1000円~2000円くらいが相場だ。
ただ月謝は1000円~2000円と安く感じるのだが、何かお金が必要になった時には別途徴収。
それが結構、急に言われるから大変だった。金額もそこそこ良い値がつく。
特に遠征費、ユニフォーム代、ジャージ代…勝ち進めば勝ち進んだだけ別途徴収される。
保護者のチームTシャツなんかも作った。
車出ししてもらった保護者にはガソリン代を渡すので、それらもその度に計算して徴収。なので金額の予想が出来なかったので生活ギリギリの我が家にはかなりの打撃だった。
その為、うちのクラブではあまりイレギュラーな出費は避けたかった。
チームとしての安定性も考慮してである。
強制ではなく任意のものなら良いのだが、ほとんどが強制で、私自身が保護者として見えないプレッシャーを感じ不快な想いをしてきたので、辞めたかった。
だが私の提示した金額は高いと言う事で、コーチ陣みんなの言う金額の真ん中をとった。
今となってはコーチ陣が立替える事が多く、やはり安すぎたんでは無いかと思っている。
それでも「なんでこんなに高いの!?」と保護者から聞かれる事もある。
その都度、説明するしかないのが現状。
もう少し指導者の在り方が正しく伝わり、普及していくといいなと思う今日この頃。
さぁ!そんなこんなで、いよいよ これからだ!!て、そんな時。
ヘッドコーチからの電話が鳴る。
ちょうど夕飯を食べていた時だった。
『すみません今月から1ヶ月世田谷勤務になってしまい練習行けなくなりそうです。』
まぁ1ヶ月ならなんとか出来るか!?と待つ意向を伝える。
日曜日なら来れる日もありそうという事だった。
それでも毎回コーチが替わるので、統一性を持たせたかったのもあり、ヘッドコーチの代わりが必要だった。
その為、私がバレーの練習法の勉強を少しづつ始める。この時、常に練習に来れていたのが私だけだったからだ。
まずは審判資格も持っていたのでルールなどの基本を復習。
それから試合をする様になったら子供たちのデータを集めたいのでスコアブックの書き方を復習。ちょうどバレーを勉強したいという友達と一緒に遊びがてら現地観戦もしてみる。新しいバレー用語も勉強した。
とにかく手当り次第出来ることからやってみた。
今思えばまだまだ不十分ではあるが。
そうしてチームとして安定しかけた__
その時だった!!
またしてもヘッドコーチからの連絡。
『コロナにかかりました。熱は41度が続いており、味覚障害があります。』
つづく。
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