「やめた」と伝えることの難しさ

こんにちは、ゆのまると申します。

久しぶりに蝉の合唱が聞こえない今日。家の中にいると蒸しますが、外はだいぶ涼しそうです。筋肉痛が治まってきたのもあって、ほっと一息ついています。


さて。このご時世ではありますが、初盆のお手伝いのために数日帰省することになりました。

香典もお供え物も準備して、あとは荷物を詰めるのみ。しかし気分は憂うつです。

食事時に勧められるお酒をどう回避するか?

些細なことですが、それで頭を悩ませています。


現在、お酒とは無縁の生活を送っています。

人に会わない、外食もしない、冷蔵庫にストックされているのはお水とお茶とポカリとトロピカーナ。そうした生活を続けてきたおかげで、外でも家でも「飲みたい」気持ちはほとんどなくなりました。ごくごく親しい友人は例外ですが、その友人と会えるのも一体いつになるのやら。

しかし家族や親戚の中では、私は「いくら飲んでも顔色一つ変えない酒豪」キャラなままです。法要に際しての会食も省略されたおかげで、今まではなんとかなってきましたが、今回は何泊かする必要がありそうで、さあどうしたものかと知恵を絞っています(もちろん常識の範囲内で食卓を囲むだけです、バーベキューなんかではなく)。

正直に理由を話すなら、「メンタルがきっかけで会社を辞めた結果、治療の一環で断酒した」となります。でもそうなると、今はもう記憶の彼方な療養中のことや、前職のことも話さないといけなくなります。面倒だし、思い出したくないのが正直なところ。

「健康診断の結果が悪くて」「後片付けがあるから」などの言い訳も使ってきましたが、「まあまあ」と真剣に聞いてもらえないことが多々。そうじゃなくて、「この場では」飲みたくないんだと察してくれ……!


お酒や食べ物の好みに限らず、普段会わない人に「やめた」ことを伝えるのって難しいなぁと思います。

仕事や趣味、生活習慣や婚活など、私達は普段、いろいろなことをやめるor続ける判断をしています。自分で考え抜いたり、パートナーや信頼できる友人に相談したりして、そうしたものが「自分の生活に必要かどうか」を判断し、取捨選択していきます。

そして「やめた」後は、すでに自分の中で区切りがついてしまっています。これは私だけかもしれませんが、もう終わったことについて「どうして」「前は〇〇だったじゃない」とあれこれ聞かれるのはあまり好きではないんですよね。「いろいろあったんだ」と言葉を濁されたらそれで「そっか、そんなこともあるよね」と納得してほしいな、と思ってしまいます。わがままかもしれませんが……。


とはいえ、相手は以前の自分しか知らないわけで、変わってしまったきっかけを知りたがるのも自然なこと。下手にごまかすよりは、きちんと理由を説明した方が手っ取り早いのもまた世の常です。

幸い、正当な理由になりそうなものがいくつかあるのでそれを組み合わせつつ、乗り切りたいと思っていますが……さてどうなることやら。

事の始まりと終わりをスパっと説明できる、もしくは追及されてもかわせるコミュ力がある。いずれか身に付けたいものです。


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箱崎ゆのまる
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