「関東の一つ残し」に反対!
こんにちは、ゆのまると申します。
帰省すると何かと理不尽な目に遭うことが多いのですが、今回もそんな出来事がありました。食事時のお話しです。
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前提として、母方の家系は皆「人に食べ物を勧めたがる」人々です。
亡くなった祖父はお茶を淹れるのが上手で、立ち寄るたびにお茶だのお菓子だのをごちそうになっていました。
私は甘い物よりもしょっぱい方が好きで、お茶のお供はもっぱらおせんべい。品川巻や揚げ餅をウマウマ食べていると、優しい祖母は「カステラあるよ」と勧めてくれます。ううん大丈夫おなかいっぱい、と断ると「桃むいてあげようか。梨もあるよ」とニコニコ台所に向かう祖母。ご、ごはん食べられなくなっちゃう、という私のかすかな抵抗もむなしく、ほどなくして器に盛られた梨が……。
孫可愛さもあったのでしょうが、そんな祖父母の血を引く母や伯母たちも同じように「これもあるよ」「あれも食べな」と勧めてくるので、きっとそんな血筋なのです。母の実家に行く時は、よっぽど強い意志を持っていないと、たんまり膨れたお腹を抱えて帰ることになります。
さて、昨日のこと。
お客さんの波も途切れ、簡単に昼食を取ることになりました。昨夜の残りのマカロニサラダとたまごサンド、コンビニで調達してきたパスタ2種と唐揚げが食卓に並びます。このご時世にアレですが、各自小皿に取り分けるスタイルです(私以外ワクチン接種済み・食事以外常にマスク着用です)。
大人4人とはいえ、母・伯母・叔父は還暦オーバー。お腹が満たされると、いつもの「食べろ」攻撃が始まりました。サラダもパスタも唐揚げも、お皿にちょこっとだけ残った状態です。
仕方ないなと思いつつ、それらを食べる私を見た伯母がぽつりと一言。
「ゆのまるちゃんって、意外と食べるよね」
・・・・・・。
だって食べろって言うから・・・!
(り、理不尽だ)と思いつつも抗議することができず、私が全部食べて綺麗になったお皿が運ばれていく様を、恨みがましい目で見送ることしかできませんでした。だって誰かが食べないと片付けられないでしょ、そう言うことすらできずに。
◆◇◆
こんな悲しいことが起きてしまうのには、「関東の一つ残し」と呼ばれる習慣も関係していると思います。
最後の唐揚げや一切れのお刺身、菓子折りに残った一つなど、誰も手を付けないまま片付けられていく食べ物たち。家庭の食卓だけでなく、職場や宴会でもたまに見られる光景です。
食べきれないほど十分なもてなしであったと伝えるため、お皿が空になると追加オーダーをしないといけない、最後の一つを食べるのは卑しいと思われる、などなど「一つ残す」理由は様々あり、他の地域でも「遠慮のかたまり」「いっちょ残し」などと呼ばれることもあるそうです。
私は前々から、この習慣が全く理解できませんでした。
もったいない、残さず食べなさいと言われるのに、なぜ大皿になると少し残すのか。おしゃべりに夢中になるよりも、まずその冷めた唐揚げを食べなさいよ、といつも思っていました。「最後の一つ貰いますね」と言って食べたら、「遠慮ないな」と上司に苦笑いされたこともあります。
周囲に合わせて食事とお喋りを楽しむ場では、お皿を綺麗にすることよりも、そういった慎ましい態度の方が好ましく思われるのかもしれません。
だけどそんなことより、せっかく作ってくれたのに手も付けられないまま冷めていくのは悲しいし、美味しいうちに食べないと。私はそちらの方を優先したくなります。
こんな時代になり、他の人と大皿料理を囲む機会もすっかりなくなりました。自粛禁止の呼びかけもありましたが、昨日の帰りの電車ではスーツケースを持った人もちらほら。これからの数字は、どんどん笑えないものになっていきそうです。
食事を共にする相手との関係性にもよりますが、もしまたそういう機会があったとしたら、私は空気を読まずに「一つ残さず」いこうと思います。場の雰囲気を作ることや遠慮の気持ちを見せることも必要かもしれませんが、「食べ物を美味しくいただく」ことも同じくらい大事なことですからね。
・・・とはいえ食べ過ぎたので、しっかりリングフィットしようと思います。せっかく絞れてきたのになぁ。
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