日記ですらない、つれづれ
夜分遅くにこんばんは、ゆのまると申します。
……と書き出してみたものの、今日は特にお話することがありません。でも、何か書きたい気分でした。
これまでの私は、ほぼ毎日のように、ハッと気付くことやどうでもいい笑い話があり、なにかしら話題を決めて記事を書いてきました。
その結果、何らかの結論や自虐ネタがないと手が止まってしまう。「いやこれ何が面白いの?」と内なる自分が聞いてくる。いつの間にか、少しだけストイックになっていたようです。普段の記事にオチがあるのか、というツッコミはさておき。
じゃあ、今日は何もせずお布団にくるまっていたのかというと、そうではありません。必要な買い物があり、普段は行かないお店を回るなどしていました。母と電話して中学時代の先生の話になり、懐かしい気持ちになるなどしました。アイカツの最終回も見ました(これはそのうち書くかも)。
それでも、何か大きな心の動きというものはなく。ご機嫌でもお疲れでもない、まさに凪のような気持ちでいます。
「書きたいことがない」「書かないと落ち着かない」
正直、こういった「書く」ことに対するもどかしい気持ちというのが、これまではあまり理解できていませんでした。「感じたことを、気が済むまで書けばいい」そう思っていたのです。
私は以前、自分にとっての書くこととは「手放すこと」だ、というお話をしました。
ひとつの文章として完成させ、それに達成感を覚えること。「手放す」と似ているかもしれませんが、その行為は、代わり映えしない日々の中で「自分が生み出したもの」として残ります。たとえ小さく、どんなに不格好でも。
書くのが好きとか嫌いとか、私にはよくわかりません。でもこれは唯一、何も作れない自分でもできること。いつもあらゆるモノを消費する立場だからこそ、「生み出す」行為が特別に見えるのかもしれません。
1000字にも満たない文章ですが、書いたら少し落ち着きました。ついでに小腹が空いたので、こんにゃくゼリーを食べて寝ます。
それではまた。おやすみなさい。