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違和感を伝える

みなさんは、違和感に思うことがあった時
それを相手に伝えることができますか?

本当にそのやり方はあっているの?
その考え方で上手くいくだろうか?
本当にみんなが幸せになれるのだろうか?

少し前まで私がこの状況に出会うと
「これを言うと相手が嫌な思いをするかな」
「もしかしたら私が理解できていないだけかも」
そんなことをぐるぐると考えて伝えることができなかった

最終的には
「みんないいと思ってるだろうし、いっか...」と
その状況を受け入れて終わっていく

結果として上手くいけばいいのだけど
やっぱりよくなかったねってなった時
言えばよかったなぁと後悔する

今回は、それの状況を回避した時のはなし

...

数ヶ月前

私が携わっているとあるプロジェクトの名前が
「〇〇制作」から「〇〇研究」に変わった

毎年催されるこのプロジェクト
参加者はIT技術を使ってテーマに沿ったモノづくりを行なう

この名前が変わるということは
やることや目的が違ってくるのではと思っていた
ということで、AIにその違いを聞いてみた

制作
目的: 具体的な作品や成果物を生み出すこと
活動: 芸術、デザイン、工学などの分野で、絵画、映画、デザイン、工業製品などを制作
プロセス: 創造的なアイデアの発案から、具現化し、完成させるまでの一連の工程
成果: 視覚的、物理的な完成品が出来上がる

研究
目的: 新しい知識や理解を深めること
活動: 科学、社会科学、人文科学などの分野での調査や実験
プロセス: 問題提起、仮説設定、データ収集・分析、結論付けという体系的な方法
成果: 新しい理論や知識が得られる。論文やレポートの形で成果を公表することが多い

Copilot

ちなみにIT系なのでシステムやアプリケーション
ロボットやゲームなど”モノ”の対象は様々

いずれにせよ、このプロジェクトでは
最終的に”モノ”ができなければ意味がない
と、私は思っている

それなのに「研究」とはどういうことなのか?

いくつかのチームの企画を聞いたけれど
その内容に納得がいかなかった
やっぱり「研究」という言葉に引っ張られて
本来の目的とズレている気がする

研究する道具としてつくられる”モノ”
研究結果から世の中に必要だとつくられる”モノ”

ここを間違えてはいけないのではないだろうか

そんなことを感じながらもどんどん進むプロジェクト
同時に私の中に積もっていくモヤモヤ感

いわなきゃいけない!

突然そう思って
まずは遠回しに名前が変わった理由を担当者に聞いてみた

すると理由は単純
「他の場所でやっている同じプロジェクトと
名前を合わせたかっただけなんです。
やることは同じなんですよ。」

やることは同じ、、、
そんなことないよね、今までとだいぶ違うよ?
そう心の中で思いながらも話を聞いていた

でも、ある担当者が
「「研究」って言葉に引っ張られてますよね、、」
そう本音を漏らすように一言つぶやいたのだ

そう!それなのよ!
私の中で言いたいことが次々と出てくる
私の考えが採用されようがされまいがそれはいい
ただ、この違和感を感じてほしい
もしかしたら違うのかもしれないと思ってほしい
もしくは、逆にこのままであっていると納得させてくれ!

...

そんなことがありながらも
先日、今年度のそのプロジェクトは終了した

最後の挨拶をしようと担当者のところに向かうと
ポロッとこんなことを言ってくれた
「やっぱり”モノ”をつくらないとダメですね。
来年度に向けてどうするか考えないとなぁ。
前に言ってくれたこと、担当者で話し合ってみます。」

覚えてくれてたんだぁ、という驚きと
伝わってくれてよかった、という安心感
あの時ちゃんと言ってよかった、と心から思った


その時感じた違和感を
言って後悔することもあれば、誰かのためになることもある
やっぱり言わない後悔よりも言って結果を受け入れる方が
断然いいのだろうと思う

でもね、これは相手にもよりますよね
その場の雰囲気とか内容とか、、、
今回だってたまたまチャンスがあったから伝えにいけたし
相手も話を聞いてくれる人だったから良かった
そうじゃなかったら、言えなかったかもしれない

ただ、歳を重ねるごとに
こう言った違和感を無視できなくなった気がする
どうしても我慢できなくて理解できなくて
自分を納得させるためにも聞いてほしい
みたいな衝動が出てきている

頑固になってしまったのか
経験を重ねたゆえに見える世界なのか

どちらにしても
誰かのためになるなら伝えたい
そう思うのです

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