連載長編小説『怪女と血の肖像』第二部 血の肖像 18-2
天羽が署に戻ったのはまもなく午後五時半になろうかという頃だった。すでに古藤が署に戻っていて、聞き込みの結果を手土産に上司の帰りを待っていた。が、古藤のほうも、大した情報は得られなかったようだ。古藤は樽本京介と永川雄吾の関係を調べるため浅倉瑠璃、伊坂翔平、バンド布武のメンバーに当たったということだが、皆口を揃えて永川雄吾という男は知らないと言ったそうだ。
「こっちもだめだった」
天羽が言うと、「やはり関係はなさそうですね」と古藤は腕を組んだ。お互いの捜査結果を係長に報告した。係長は難しそうな顔で、「車が見つかるまでは無関係と決めつけることはできない」と言った。「もう少しだけ、続報を待とう。まったく別のところで繋がりが見つかるかもしれない」
「そうですね」と天羽は答えた。古藤も黙って頷いた。
それから、と係長は言った。「失踪した永川雄吾だが、多額の生命保険が掛けられていた。受取人は妻の理穂だ」
「保険金目当て、ということですか」
「そうだ。それともう一つ、最近、育児のことで夫婦喧嘩が増えていると永川が言っていたのを同僚が聞いていた」
永川理穂が夫に危害を加える動機はある、ということだ。保険金を受け取れるとなると、一時の気の迷いで、ということも十分考えられる。
「遺体が見つかっていないのでまだ何とも言えないが、妻が夫を殺した可能性は十分考えられる」
ただし、永川雄吾が殺害された事件の犯人が妻の理穂であるならば、天羽達のいる捜査本部とは無関係の事件、というわけだ。しかしそれも未だ判然としない。係長がすっきりしないというような表情を浮かべているのはそれが理由だ。
せめて失踪絡みじゃなければなと天羽は思った。報告を終えるのと同時に係長のスマートフォンが着信を告げた。それを受けて、天羽と古藤は黙礼し、踵を返した。だがすぐに、「天羽!」と呼び止められた。
係長の前まで引き返すと、「丹生脩太がビッザロだと突き止めたのはおまえだったな?」と問われた。
「はい」と答えながら、それがどうしたのだろうと天羽は思った。
「永川雄吾の自宅に、ビッザロの肖像画が置かれていると報告が入った」
心臓が跳ねるのが自分でもわかった。ビッザロの肖像画……つまりそれは、血の肖像画なのだろう。丹生脩太と永川雄吾の繋がり……いや、繋がりと考えるのは尚早だ。だが僅か二日間で姿を消した二人の人物が一枚の絵で繋がっている。永川雄吾は大手保険会社に勤めているが、年齢は三十八だ。ビッザロの肖像画は一枚数百万円から数千万円、場合によっては臆を超える……。そんな美術品を永川雄吾が所持しているというのか。にわかには信じられない。永川雄吾がビッザロの絵画を所有している理由として、金額面を考えた時に最も現実的なのは、丹生脩太から進呈された、だろう。そうなると、二人の間には繋がりがあったことになる。
僅か二日の間に姿を消した二人の男……一枚の絵……これは偶然だろうか。
やはり係長も、天羽と同じことを考えているようだった。これは見過ごせない重要な新事実だと言って、二件の失踪の連続性、そして樽本京介殺害事件との関連について調べる必要があると口にした。
「その永川家のビッザロの絵ですが、画像を送ってもらえますか」
係長は了承して、永川家で聞き込みを行っている捜査員に肖像画の写真を撮影して送るよう指示した。通話を終えて、一分ほどで係長のスマートフォンにその画像が送られて来た。係長は画面を覗くと顔をしかめた。その歪めた顔のまま、スマートフォンを天羽のほうへと向けた。
永川雄吾が所有している血の肖像――それを見た瞬間、天羽は踵を返し、走り出していた。
19へと続く……