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連載長編小説『十字架の天使』2-2

 ネットカフェを後にした薙沢と味田はその後も鳴海聖子の連絡先を元に八人の知人に聞き込みを行った。主には都内で生活する中学、高校時代の同級生に当たったが、今はそれほど繋がりもなく、特筆すべき情報は得られなかった。
 外れ籤引いたか、と薙沢は幸先の悪さに眉をしかめた。鳴海聖子の連絡先に吉高和也の名前があり、彼がこれから聴取に向かうネットカフェの店員だと知った時には幸先が良いと感じたのだが。
 鳴海聖子の評判は概ね吉高和也が語った内容と一致していた。鳴海聖子は男女共に信頼が厚く、やはりよくモテた。高校時代に出会った男性と何度か交際関係に発展したことはあるが、中学時代は誰からの告白も受けなかったという。男子生徒を友人としか見ていなかったのか、あるいは恋に落ちるだけの相手が学校にいなかったか。
 そんなことはどうでもいい。薙沢は思わず舌を鳴らした。
 吉高和也の後に行った聴取で得た新情報は鳴海聖子が敬虔なクリスチャンであったということくらいだ。初めそれを聞いた時は自然に十字架の天使と結びつけてしまい、事件と関係があるのではないかと思ったが、その可能性はないと判断した。他の三人の被害者にクリスチャンはいないからだ。鳴海聖子の場合、殺害方法と宗教思想が偶然一致していたということだろう。
 すでに午後七時を過ぎている。
「署に戻りましょうか」車道に立ち、運転席側のドアに手を掛けた味田が言った。
「ああ、そうしてくれ」薙沢は歩道に立ったまま答えた。両手はスラックスのポケットに突っ込んでいた。「俺は行く場所がある。先に戻って係長に成果報告しておいてくれ」
 報告できることといえば小松諒太のアリバイを確認したことくらいだが。
「わかりました。お疲れ様でした」
「お疲れさん」
 味田が車を発進させるのを見送って、薙沢は電車に乗り込んだ。現場であるパレスマンションは現場保存がされていて、住人である小松諒太は現在職場近くのビジネスホテルに宿泊している。
 アルコールの入っていない状態でもう一度現場を確認しておきたかった。
十五分ほどでマンションに到着した。現場である三階の部屋に行くための階段入り口に防犯カメラはやはりない。まるでその代わりとでも言うように制服警官が立っている。保存状態の現場に部外者を近づけないためだが、この階段を使わなくては部屋に行けない住人にしてみれば迷惑な存在だろう。
 警官は薙沢の襟元を見て、敬礼した。お疲れ様、と長時間警備している警官を労い、薙沢は階段を上った。
 改めて部屋を見ると二十代の二人が暮らしている部屋には見えなかった。部屋は二十畳分の広さがある。その中央には高級ソファが置かれ、それと対峙するように大型の液晶テレビが置かれている。その脇には観葉植物の鉢植えがあり、それと同じ物がベランダに出る窓辺にも設置されていた。キッチンに横付けされた脚の長いテーブルもニスが証明を照り返していて、木目がよく映える。テーブルの上には流木のインテリアが置かれていた。
 商社に勤める小松諒太の収入の高さを伺わせる。だがそれ以上に目を引くのはやはり鳴海聖子の集めていたブランド品だ。
 部屋の一角に設けられたクローゼットには錚々たるブランドの衣服、バッグにポーチ、そしてハットが掛けられている。もちろん小松諒太のコートやダウンジャケットなども収納されているが、それはほんの一部に過ぎない。リビングのクローゼットだけで総額は三百万円を超えるのではないか。
 当然ながら、鳴海聖子の収入を考えれば趣味で集められる品物ではなかった。株式投資などの副業についても確認されていない。
 リビングの品物だけなら数年分の貯金を叩いて、あるいは恋人である小松諒太が奮発したプレゼントとして購入したと考えることもできる。だが鳴海聖子の収集物はこれだけではない。
 昨夜も少しだけ中を見たクローゼットルームに薙沢は入った。まるでファッションショーの控室かのようにブランド品が並べられた部屋には昨夜動揺度肝を抜かれる。この眺めを目にするだけで壮観である。これを作った鳴海聖子自身はなおのことだっただろう。
 薙沢は白手袋を嵌めた手で一点ずつ点検していった。部屋の入り口から見えるのは衣服と靴、バッグばかりだったが、衣服を掻き分けるとその奥に小さな収納が隠されており、中にはネックレスやピアスなどのジュエリーが保管されていた。だがこれらのジュエリーは衣服やバッグと比べると高級品とは言えない代物だった。
 それでも総額数千万円、いや、もしかすると一億円を超えるかもしれない。これは小松諒太の収入を踏まえても趣味に投じられる額ではない。
 そんなことを考えながらエルメスのバッグを点検していると、バッグの中に白い物が見え、薙沢はそれを手に取った。
 破れた紙切れの一部だった。このバッグを使った時、塵を破り捨てた拍子に紛れ込んだのかもしれない。
 だが気になる点があった。
 紙切れの一部にもう一枚紙が重なっているのだ。糊付けされているようでぴったりとくっついている。
 薙沢は現場から消えた日記のことを考えていた。四件の事件で唯一の強盗品だ。争った形跡はないが、鳴海聖子が最後まで日記を手離そうとしなかった可能性は考えられる。
 日記には犯人について核心的なことが書かれていたのだろうか。
 もしそれが原因で鳴海聖子が殺害されたのだとすれば、マスコミが吹聴している無動機殺人に反して、今回は動機のある殺人ということになる。
 この切れ端は日記の一部かもしれない。そう思った薙沢はジップロックに紙の切れ端を閉じ、ポケットに回収した。
 その足で浅草警察署に戻った薙沢は捜査本部ではなく鑑識課へと向かった。
「現場に紙の切れ端が落ちていませんでしたか」昨日現場で初動捜査に当たっていた鑑識課員を見つけ、薙沢は声を掛けた。
「紙の切れ端?」
「ええ、これくらいのサイズの」薙沢は親指と人差し指で五センチくらいの幅を作った。
 鑑識課員は首を捻った。
「いや、見てないですね」
 薙沢は落胆した。紙の切れ端が何かの手掛かりになればと思ったのだが。
「そうですか……」
「ああでも、紙なら見つかってますよ。切れ端じゃないですけど」
「ただのノートや印刷用紙のことはいいんです」
 突き放したような言い方の薙沢に鑑識課員は「いやいや」と手刀を切った。
「キッチンに燃え滓が残ってたんです。復元はできないけど、それが燃やされた紙だってことはすでに判明してます」
 鳴海聖子は殺害される直前に何かを燃やしたというのか。あるいは鳴海聖子を殺害した後に犯人が燃やしたのか。
 いずれにせよ、事件とは関わりがあるのではないか。紙を燃やすことなど日常生活では殆どない。
「その紙って、見つかった時はどんな状態でした?」
「ちりちりですよ。跡形もない」
「破られた形跡は?」
「燃えてたので破られた箇所を見たわけではありませんが、いくつもの燃え滓が残ってて、破った後で燃やした可能性は十分考えられます」
 もしそれが日記なら、犯人が証拠を隠滅してしまったかもしれない。
「燃やされた紙の量はどのくらいと考えられますか?」
「せいぜい一枚程度だと」
「一枚か……」
 では燃やされたのは日記ではないのではないか。それとも一ページだけを燃やして、日記自体は持ち去ったというのか。そんな手間を掛ける必要がどこにあるというのか。
 鑑識課員に礼を言うと薙沢は廊下に出た。はあ、と息を吐き出すと、一日分の疲れがどっと表れた。
 まだ初日だ。気合を入れなければ。
 薙沢は首の後ろを揉んだ。

3へと続く……

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