連載長編小説『別嬪の幻術』14-1
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少し早めに大学に行き、書類をコピーした。この後、野々宮が証拠品を取りに来ることになっている。野々宮のいる捜査本部では駒場敬一殺害事件と佐保、風見の事件を関連づけてはいない。それは京都府警でも同じことが言えた。それに警察が突然大きな動きを見せ、丹羽らテロリストを刺激するのもよくない。月読神社で見つけた証拠品には犯人の手掛かりが残されているかもしれない。それを調べるには警察の協力が必要だ。しかし京都府警にはまだ託すわけにはいかないと僕は判断した。今頼れるのは野々宮だけだった。
コピーを済ませると、僕は校舎を出た。すでに一限に出席するために登校してきた学生が門から眠そうな顔で入って来ている。早くも大学から外に出ようとする僕は教会で一人お経を唱えているくらい異様で、悪目立ちしていた。だらだらと門をくぐる学生の中に千代もいた。千代は僕を見てにこりと微笑むと、すれ違いざま僕の腕を掴み、校門を入ってすぐ脇に引っ張り込んだ。
「よかった、なんもなくて。心配してた。連絡もないから、やっぱりなんかあったんかなって」
「ごめん。それどころじゃなかったから」
千代は鼻の下を伸ばし、少し伸びたショートボブを耳に掻き上げた。その手首には、乗金宝商で買ったオパールとトルマリンのブレスレットが今日も光を放っている……。
「それどころじゃないって、やっぱり犯人に襲われたん?」
そういうことじゃないと僕は笑った。昨日犯人とは出くわさなかった。昼間は観光客も多いから、下手に手出しはできないんだろうと言うと、千代はほっとしたように胸を撫で下ろした。無事でよかった、と千代はもう一度言った。
だがこの先無事でいられるかはわからない。それを思うと、顔が引き攣った。些細な変化を見逃さなかった千代は、首を傾げた。
「本当の戦いはこれからだ」
千代の肩をぽんと叩き、門を出ようとしたところ、呼び止められた。どこに行くのか、という疑問はもっともなものだった。これから一限が始まるというのに、大学を後にする学生などいない。東京から知人が来るから、と答え、僕は門を出た。千代は呆気に取られたまま、その場に立ち尽くしていた。
今出川駅で地下鉄に乗り、京都駅まで下った。一番前の車両から吐き出された僕は足早にホームを歩き去り、八条口の改札を抜けた。階段を上り、新幹線乗り場の前で野々宮を待った。刑事はまもなく現れた。彼と会うのは今年の一月以来だ。成人式で顔を合わせたのが最後だった。一月にも思ったが、警察の激しい訓練の賜物か、高校時代に比べると野々宮は倍近く胸板が厚くなっている。全体的に筋骨隆々としていて、まるでラガーマンのようだ。ワックスで前髪を上げるスタイルで際立つ額の広さはいつも通りだが、引き締まった体のせいで精悍な顔もより締まって見える。夏の名残の浅黒さも相俟って、三流ボディービルダーに見えなくもない。
再会の挨拶もそこそこに、僕達は駅地下のカフェに入った。野々宮は私用で遅刻すると言って京都に来たらしい。午後には東京に戻らなくてはならない。早速、僕は封筒を取り出した。月読神社で見つけた大判の茶封筒だ。発見の経緯を掻い摘んで話しながら、僕は中身を取り出した。野々宮はすでに白手袋を嵌めていた。書類を手に取ると、野々宮は広い額をしかめて天皇帰還説の支持者一覧に目を落とした。
「なるほど……。それで、この、一人殺したっていうのが駒場敬一のことなんだな?」
「ああ。この会合が行われていた時期だと、まだ佐保と風見は殺されてない。僕達で言えば夏休み中のことだ」
「たしかに、駒場が殺された直後に行われている……。会合の雰囲気も、切迫としているふうではある。殺人事件が起きて、緊急で開かれたものだったのかもしれない」
僕は頷いた。それについては、音声を聞いた時から感じていた。もしかすると、駒場敬一が殺害されたのは丹羽達にとって不測の事態だったのかもしれない。
「とにかく、持ち帰って調べてみる。指紋が出るかはわからないし、たぶんデータベースにはない指紋だろうけどな」
「僕の指紋は確実についてる」
「ああ、念のために、おまえの指紋のデータを採らせてもらう」
野々宮は慣れた手つきで僕の指紋を採取した。書類には、少なくとも洞院才華の指紋が付着しているはずだ。ただ、僕が封筒を発見した時、すでに封は解かれていた。洞院才華ではない誰かが触れた可能性もある。テロの証拠になり得るものを見つけて持ち去らなかった理由がわからないが、もし洞院才華とは別の指紋が検出された場合、その指紋の持ち主が重要な鍵を握ることはまず間違いない。
結果が出たらすぐに連絡する、と野々宮は言った。書類とアイポッドを封筒にしまいながら「犯人はこの中にいるはずだ」と言った。僕も同意見だった。「こんな大それたテロ計画が本当に実行されるのかと疑いたくなるくらいだ。まあでも、このリストを見る限り、準備は整いつつあるといったところか……宮内庁の人間も加担しているんだからな」
「事が起きてからじゃ遅い。計画が実行されるとして、尾高柊一郎は確実に決行に関わって来るはずだ。尾高をよくよく見張っておくんだ。いいね?」
「もちろんそのつもりだ。ただ、これだけの人間が絡んでくると、俺だけじゃ手が回らない。いずれ京都府警にも捜査協力を依頼することになるだろうな」
「その前に、僕達は殺人犯を見つけ出さなければならない」
野々宮は溜息を吐いた。
「この分じゃ、一人が三人を殺したのか、三人が一人ずつ殺したのかわからない」
「それはこれからわかることだ」
そうだな、と言うと野々宮は立ち上がった。八条口乗り場で東京行きの自由席チケットを買うと、野々宮は改札をくぐった。刑事は頻りに腕時計に目を落としていた。すでに十時を回っている。東京に着くのは早くても十二時半だ。悪いな、と僕は軽い気持ちで詫びた。
14-2へと続く……
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