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連載長編小説『破滅の橋』第四章 出口の光と友2

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 ロビーを歩きながら見覚えのある背中を目で追った。それだけで懐かしい気分になる。その背中のさらに先ではもう一人、見覚えのある顔が受付を行っている。彼がその場を退くと、工藤の前を歩いていた男が受付を開始した。
 工藤がそこへ着くのとほとんど同時に、前を歩いていた男は受付を完了した。受付で名前を記入し、工藤翔太と印字された名札を胸ポケットに取り付けた。
 宴会場に入るとすでに大半の顔が揃っていた。工藤はぐるりと宴会場内を見渡し、この四年間で老け込んだ面々の顔を確認した。主役である瀬川は、十人ほどの男女に囲まれていた。男性陣のテーブルに近づくと、えらく歓迎された。
 高校卒業以来、三度目の同窓会だ。卒業する時、四年に一度同窓会を開こうと美智子が提案したのだった。まるでオリンピックだな、と卒業という門出に酔いしれた生徒が冗談交じりにいったが、美智子はその通りだと胸を張った。「オリンピックからインスピレーションを受けて何が悪い」というのが美智子のいい分だった。和やかな一幕であった。
 午後七時になる頃には出席予定者全員が顔を揃えており、卒業時に決められた同窓会委員の女子生徒の司会によって同窓会が開始した。
 開会の挨拶をもはや慣れた口調で女子生徒は述べている。それを耳で聞きながら、改めて宴会場を見る。やはり三十路を迎える、あるいはすでに迎えた節目の年であるせいか今回はかなりの人数が集まっている。
 同窓会に、峯本と同席できないことが悲しかった。
「工藤君にお願いしたいと思います」
 突然指名され、驚いた。司会の声はしっかりと聞いていたはずなのに、指名された経緯がまったくわからない。
「工藤君?」なかなか立ち上がらないでいる工藤を急かすように司会者がいった。同じテーブルを囲む同級生たちはくすくす笑っている。
「俺、何したらいい?」苦笑を浮かべながら訊いた。
「挨拶だって。何か一言しゃべってこいよ」
 肩をばしんと叩かれ、工藤は立ち上がった。挨拶などと突然いわれても困る。こういうことは事前に伝えておいてほしい。それに前回は学級委員長を務めていた男が何やら話していたではないか。
 宴会場をぐるりと眺めながら舞台に進んだ。学級委員長の顔が見当たらない。欠席しているということか。しかしなぜ自分なのか。工藤は首を傾げた。
 工藤を煽てるような掛け声と拍手に迎えられて階段を上り、舞台上に立った。フロアは暗転していて白い円卓が夜の海に浮かぶ島々のようだった。が、柔らかく見守ってくれている瀬川の顔ははっきりと見えた。従業員がマイクの高さを調整しに来る。工藤は礼をいい、マイクを握ってマイクスタンドの角度を調節した。
 名乗ると、盛大な拍手が沸き起こった。その中に、指笛や奇声がたしかに混じっていた。もうすっかり落ち着いたかなと思っていたが、少年の心を持つ者がまだいるらしい。
「卒業以来、いろいろありましたが――」峯本の顔がはっきりと浮かんだ。「こうして我々も、もう三十です」
 薄い笑い声が広がった。
「まだ二十九なんだけどー」と女性のテーブルのほうから野次が飛んできた。大変失礼致しました、と頭を下げると、どよめきにも似た歓声が上がった。
「こうして同窓会を開けるのも、みんなが元気でいるから、高校時代の良き思い出があるからだと思います。今日は四年に一度の同窓会ですので、最後までみんなで楽しみましょう」
 一礼して舞台を降りようとすると、同窓会委員に止められた。
「このまま乾杯の音頭も取ってもらいたいんだけど」
 工藤は顔をしかめそうになった。了解すると、マイクスタンドの前に戻った。そういえば学級委員長も、挨拶の後に乾杯の音頭を取っていた。しかし四年も経つと記憶が薄れている。
 従業員にグラスを渡され前を向くと、フロアの明かりが点いていた。起立を願うと、まばらに立ち始め、そのくせ早く飲ませろといわんばかりに早々にグラスを高く掲げる。
「四年ぶりの再会を祝して、乾杯」工藤がいうと一体感溢れる大きな声が返ってきた。同じテーブルでグラスを当て合う音が宴会場に響き渡っている。
舞台を降り、テーブルに戻るまでにも同級生たちとグラスを合わせ、自分の席に戻るとまた乾杯。やがて腰を落ち着け、ぐびっとビールを飲んだ。ようやくひと息吐くと、周囲の会話が耳に入ってきた。
 さっきの挨拶で峯本のことにも間接的に触れたつもりだったのだが、もはや誰も何の反応も示さない。もう、誰も彼のことを口にしなくなった。地元から遠く離れた京都で起きた事件ということも、もしかしたら関係しているのだろうか。
 しかし四年前に催された第二回目の同窓会は峯本の話題で持ちきりだった。事件から、すでに三年も月日が経っていたというのに。
 おそらく皆、意識的に峯本のことは口にしないようにしているのだろう。
 信じられなかった、驚いた、そんな他人事としか捉えていない者もいれば、「二度と人殺しとは関わりたくない」という者もいた。事件直後に瀬川から懇願されたにも関わらず、美智子は後者のスタンスを頑なに守っていた。
 他にも辛辣な意見は多く出たが、工藤がひどくショックを受けたのは「同級生からその存在を消してしまいたい」という言葉だった。いくら何でも厳しすぎる。そう思った。
 もちろん厳しい意見だけではなかった。
 峯本が殺したのは涼子を殺した男なのだから情状酌量の余地があると弁護してくれる者もいた。
「恋人の敵討ちなんて、ロマンだなあ」などと能天気なことをいう者もいた。
 いずれにせよ、前回の同窓会では意見がわかりやすく二極化し、大論争となった。工藤は静観していたのだが、やはり学級委員長は事態の収拾にずいぶん手間取っていた。それもあって、今回の同窓会には欠席しているのかもしれない。
 あれほど持ちきりだった話題なのに、今では誰も峯本のことなど覚えていないような顔をしている。彼の話題を持ち出さないのは、ある種暗黙の了解のようになっているらしかった。
 翔太、と背後から声を掛けられた。ずいぶん腹が満たされてきた頃だった。振り返ると、大野だった。まさか彼のほうから声を掛けてくれるとは思ってもいなかった。大野は峯本の幼馴染で、峯本が殺人犯としてひどい批判を受けていることに心を痛めている一人だ。
「久しぶり。こっちにはしばらく帰ってなかった?」ずいぶんしっとりとした口調だ。歳を重ねて貫禄がついたのか、それとも峯本の風評を聞いて心から疲弊しているのか。
「一年半ぶりくらいかな」今年は仕事の都合で正月に帰省することができなかった。
 大野はどこかぎこちない笑みを浮かべた。
「そっか。京都は、どう? いいところ?」
 文化遺産が数多く残り、外を歩けば歴史風情を感じられる街並みは親しみやすく、どこか落ち着くところがある。
 そんなことを考えたが、大野が知りたいのはそんなことではないと感じた。峯本が犯罪者となってしまった京都は、いったいどんな街なのか。素晴らしい街で、最悪の犯罪に手を染めたのか、最悪の街で、然るべきことをやり遂げたのか。
 ますますわからなくなった。自分が暮らしている街なのに、働いている街なのに、生きている街なのに。
「来年、出所だろう?」
 そうだった。来年で峯本は八年の刑期を終えて刑務所を出る。頷きながら、大野が自分のほうから話しかけてきた意図を察した。
「それで?」と工藤は訊いた。
 大野はワイングラスをゆらゆら回しながら、「浩平は、昔っから正義感の強い男だったんだ」といった。食べるようにワインを口に運ぶと、飲み込んでから続けた。「幼稚園の時なんて、仲良しの女の子に何かあったら身を挺して守ったりしたんだ。自分のほうが体が小さいっていうのに」
 何となくだが、大野の語る光景が目に浮かぶ。そういった峯本の性格の名残を高校時代に何度も見たことがある。涼子が困っていれば、必ず手を差し伸べていたし、重い荷物は涼子のものであっても必ず峯本が運んでいた。
 大野は過去を懐かしんでいるらしく、口元を綻ばせた。
「他には何かないの? 浩平の、そういうエピソード」
「ひとつ、面白いのがあるよ」と大野はいって笑った。
「聞かせて」
「小学校の時なんだけど」
 大野の言葉に大きく相槌を打った。知り合いの昔話を聞いていると、時々ひどく興味深いものに出会うことがある。工藤は、自分の知らない峯本の過去が気になった。
「クラスでいじめがあってね。浩平のやつ、まったく無関係なのに、ひどく思いつめてさ。笑えるだろう?」
「加害者でも被害者でもないのに?」
「うん」
「被害者側の生徒と仲が良いわけでもないのに?」
「そうなんだよね。なのにひどく思いつめててさ」
 酔いが回っているらしく、大野は大きな声を出して笑った。きっと昔話をする相手が自分ではなく峯本だったら、もっと楽しいんだろうと工藤は思った。
「浩平らしいな……」
 工藤はテーブルの上からチョコレートを摘まみ上げ、口に放り込んだ。口の中で噛み砕きながら大野を見上げると、悲しげな目をワイングラスに向け、口元にはぎこちない笑みが浮かんでいた。
「あいつらしいだろう」ぼそぼそ、と呟くように大野はいった。「だから事件のことを訊いた時も、心のどこかでは納得してたんだ」
 工藤は唖然として口を動かすのを止めていた。口内の熱で、チョコレートがじっとりと溶けていく。
「……納得」
「そう、納得。坂田さんが亡くなったって聞いたあの日も、もしかしたら浩平は全部自分で背負い込んで犯人の家に討ち入りにでもいくんじゃないかって心配してた」
 工藤は頬を引きつらせて苦笑した。
「討ち入りって、そんな大袈裟な」
「大袈裟なんかじゃないよ。これまでの浩平を見て来たから。だって恋人を殺されたことなんてそれまでなかった。あいつがどんな行動に出たっておかしくなかったんだ」
「……」
「坂田さんの存在はそれだけ大きかったんだ。浩平も思ってたんじゃないかな。一生一緒にいたいって」
 さすが、というべきなのかどうかわからなかった。峯本は高校卒業後に涼子にプロポーズすることまで考えていたのだ。それすなわち生涯を共にするということ。涼子を大切に思っていたことは百も承知だが、いくら峯本でも討ち入りまでは考えなかったはずだ。
 工藤はますます顔を険しくした。
「でも、復讐のために人を殺しただろう?」大野は工藤の思考を読み取ったかのように、しかし声を震わせていった。「どうしてあいつは昔から何でもかんでも一人で背負い込んでしまうのか」
 ゆらゆら頭を振りながら大野は嘆いた。工藤も同感だ。
「きっとあいつは――浩平は、出所後も自分で自分を苦しめるだろう。もしかしたら、思いつめて死んでしまうかもしれない。だから翔太、京都にいる翔太にしか頼めないんだ」
 工藤はごくりと唾を飲み込んだ。大野のぎこちなかった表情が、今では鬼気迫るもののように見える。ただ、工藤も同志であることは間違いなかった。何とか力になりたい、そう思った。
「何でもいってくれ」
 頷くと、大野はいった。「浩平の面倒を、どうか見てやってほしい」
 工藤は立ち上がり、大野の背中を力強く叩いた。「もちろん。できる限り力を尽くすよ」
「約束してくれるか」
 工藤は大きく頷き、大野と握手した。お互いに相好を崩し、大野の飲んでいるのと同じワインをグラスに注ぎ、誓いを交わしたことを体現するようにかちんとグラスを合わせた。

3へと続く……

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