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連載長編小説『怪女と血の肖像』第二部 血の肖像 23-2

 岩沢美亜についてかつての同級生らに話を聞いたが、君島辰斗と堂島翼から聞いた話以上のものは得られなかった。天羽はまず、岩沢美亜の両親に当たってみた。両親は娘のリストカットについても把握しており、度々自分を傷つけるのはやめるよう注意していたという。それだけに、もっと注視していれば娘の自殺を止められたかもしれないと後悔していた。どうやら、他殺の可能性は考えていないらしい。リストカットに使用していたカッターナイフが浴槽のすぐ傍に落ちていたそうだから、それも無理はないが。
 その後同級生達に話を聞き、新たな情報は得られなかったわけだが、それでも天羽は一つの事実を手にすることができた。それは当時、岩沢美亜にしてはそれなりに親交を持っていた友人にも話を聞いたが、その友人は彼女のリストカットのことを知らなかったと話した。他の同級生も同様だ。思えば君島辰斗も堂島翼も、岩沢美亜はヒステリックな女性だったと語ったが、リストカットについては言及しなかった。言わなかっただけかもしれないが、知らなかったのかもしれない。
 日常的なリストカットについて友人らに話すと、「ああでも、確かに美亜はずっと長袖を着ていました。夏場の体育の授業でも決まって長袖だった印象です」と皆が口を揃えた。「今思えばそれは手首の傷を隠すためだったのかもしれませんねえ」と。
 そうした証言からわかるのは、岩沢美亜はリストカットを隠していたということだ。だが手首の傷を知る者がいた。それが丹生脩太だった。女性の体についた傷、そこから流れ出る鮮血に至高の芸術を見出している画家がそれを見たら、欲望に抗えなかったのだろう。
 丹生脩太は岩沢美亜にとって心を開ける数少ない――もしかしたら唯一の存在だった。そんな彼だけが彼女の傷を知っていたという可能性は十分考えられる。
 弟が兄のかつての恋人だと思っていたくらいだ。丹生脩太はおそらく岩沢美亜に恋愛感情を抱いていたのだろう。もし丹生脩太にとって岩沢美亜が理想の女性像だったのだとすれば、その彼女の手首に刻まれた深々とした傷は、ビッザロにとって芸術の完成形であり、血の肖像の生き写しだった。そんな彼女を描いた、ビッザロにとっての最高傑作――だから丹生脩太は、今もあの絵を手元に置いているのではないか。
 あるいはあの絵を発表してしまうと、岩沢美亜殺害の容疑を向けられると案じたのか……。それも今や余命いくばくもなく、新たな殺人に手を染めた。行方をくらます時、彼女の絵を置いて行ったのは、もはや殺害の容疑を掛けられることに不安を感じることもなかったから。
 そう考えると、丹生脩太の行動原理に当てはまっているように思える。失踪が自作自演という可能性も十分考えられる。ただその場合、丹生脩太はなぜ車乗り捨て失踪事件を模したのか……一つ、突飛な発想だが、薄っすらと考えていることが天羽にはある。
 車乗り捨て失踪事件の犯人が丹生脩太なのではないか――。
 丹生脩太が過去に殺人を犯している可能性があると感じた時、その考えが頭に浮かんだ。丹生脩太が過去に殺したのは一人ではなく、何人何十人だとすれば……真太もその中に含まれているのだとしたら……。
 奴を野放しにはできない。この手で必ず死刑台に送ってやる。
 だが丹生脩太が失踪事件の犯人と仮定すると、岩沢美亜殺害に疑問符が浮かぶ。なぜならこれまで起きた失踪事件の被害者は誰一人として死体が見つかっていないのだ。それを踏まえると、死体の見つかった岩沢美亜は丹生脩太に殺されたわけではないということになる。当然、岩沢美亜だけが例外ということもあり得る。それでもその可能性は低いだろう。車乗り捨て失踪事件の犯人は二十年もの間警察の目を躱し続けて来たのだ。感情に任せた犯行ならばそうはいかない。連続失踪事件の犯人は犯行手順を徹底しているはずだ。そうした犯人にはある種の犯罪美学というものがある。一連の失踪事件が丹生脩太の仕業だとすれば、岩沢美亜の死はその美学を崩壊させるものになる。
 だとすれば、失踪事件の犯人は丹生脩太ではない。岩沢美亜を殺害したのは間違いなく丹生脩太だろうからだ。
 では丹生脩太は偶然連続失踪事件に巻き込まれたのか。それはわからない。何か事情があって失踪したように見せかけているだけかもしれない。丹生脩太が車乗り捨て失踪事件を知っていたのなら、自作自演など容易いものだ。
 ちょうど失踪について考えていると、天羽のスマートフォンが着信を告げた。そのせいで、失踪絡みの報告じゃないかと思った。その予感は当たっていた。電話は古藤からだった。
「警部……。永川雄吾の車ですが、先程発見されました。一連の事件と同じように、車の鍵は差さったままで、乗り捨てられていました。場所は小金井です」
「小金井?」
 もはや永川雄吾の車が乗り捨てられていても驚かないが、乗り捨て場所を聞いた時、不穏な感じが天羽の胸に渦巻いた。
 小金井といえば、丹生脩太が幼少期を過ごした町だ。これまで乗り捨てられた車は都内各地で見つかっており、場合によっては神奈川や山梨など首都近郊に乗り捨てられていたケースもある。乗り捨てられる場所に深い意味はないのだろう。だがこのタイミングで丹生脩太の故郷である小金井に車が乗り捨てられるというのは、何らかの意図があってのことのように思えてならない。
「はい、小金井です。十四時から捜査会議です」
 またか、と天羽は思った。今回の事件は捜査会議が多い。それだけ目まぐるしい事件と対峙しているということだが、進展しているという感覚はない。捜査員は決して踊っているわけではないのだが、会議は進まずといったところだ。もしかすると、知らず知らずのうちに犯人によって踊らされているのかもしれないが……。
「わかった」と言い、天羽は電話を切った。
 時刻は正午を三十分ほど過ぎたところだった。会議までは少し時間がある。天羽は目についた定食屋の暖簾を掻き分けた。席に案内されながら、そういえばこの前の緊急捜査会議を伝えて来たのも古藤だったなとどうでもいいことを考えた。

24へと続く……

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