見出し画像

連載長編小説『美しき復讐の女神』18-1

        18

 街はいつもと変わらず賑わっているのだろう。ベッドの中で三浜は思った。一週間前までクリスマス一色だった世界は、まるで掌を返したみたいに正月ムードが漂っていた。買い出しに出掛けたら、天井に吊るされている広告は皆正月のものだ。すでに年は明けたが、まだおせちの予約を受け付けている店も多くあった。夜になれば今も多くの場所でイルミネーションが行われているが、やはりクリスマスと正月ではどことなく雰囲気が違う。今も夜に眩しいイルミネーションを見ると、電飾だけが置き去りに、時だけが無情に進んでいるような感じが三浜にはあった。そしてそれは、元日に帰る場所のない自分と同じであるように思い、どこか虚しく、それでも光り続ける電飾には切なさを感じずにはいられなかった。凛と一緒に過ごしていれば、そんな気分も少しは紛れたかもしれない。でも凛は、今はいない。年末年始について訊ねた時、凛は実家に帰ると言っていた。実家に帰られては、三浜にはどうすることもできなかった。
 明奈から着信があったのは、三浜がだらだらとベッドから起き上がれないでいる時だった。もしよければ初詣に行かないか、とのことだった。三浜は承諾の返事をしながら、心のどこかで明奈からの連絡を期待していた自分に気がついた。だが明奈を恋愛対象として認められない自分の心もよく理解していた。三浜を恋愛対象として見ている明奈に対して、自分がいったい明奈に何を求めているのかがまるでわからなかった。それなのに、明奈からの連絡を心待ちにする自分の矛盾した気持ちに困惑した。三浜は着替えを済ませ、ヒイラギのマフラーを巻くとアパートを出た。しばらく電車に揺られ、飯田橋駅で明奈と合流した。明奈もマフラーをしていた。ヒイラギが編まれた、鮮やかな青だ。
「明けましておめでとう」明奈は照れ臭そうに言った。
「明けましておめでとう」三浜はおはようと挨拶するように自然に言った。「飯田橋で下りたってことは、そこ?」
 三浜は東京大神宮のほうを指差して言った。明奈は頷いた。
「明治神宮にしようかと思ったけど、人多いだろうし、あんまりゆっくりできないかと思って。浅草寺とかも考えたんだけど、高田馬場からならこっちのほうがアクセス良いからさ」
 わざわざ気を遣ってくれたのか、と三浜は思った。三浜の暮らすアパートは高田馬場にあるが、明奈はその近くで暮らしているわけではなさそうだった。明奈が実家暮らしなのか一人暮らしなのか、それすら知らない。
「靖国神社なら下れば行けるけど?」
「どっちがいい?」
 東京大神宮がすでに見えているのにそう訊く明奈がおかしかった。三浜は快活に笑う自分に驚いた。
「もう着くから、東京大神宮にしよう。東京の伊勢神宮なんだから、縁起もいいし」
 飯田橋に着いた時からわかってはいたが、やはり元日なだけあって参拝客は溢れかえっていた。正門から中の様子を窺った時、その人混みに三浜は思わず帰りたくなったが、靖国神社や浅草寺と比べればいくらか空いているほうだろうと思い、門をくぐった。
「どうかした?」
 本殿に向かって列に並んでいる時、三浜は、三浜の胸辺りを見てだらしなく笑う明奈に気づき、訊いた。
「マフラー、つけてくれてるのが嬉しくて」
 三浜は自分の首に巻かれたマフラーと明奈のマフラーを交互に見た。クリスマスの夜に凛からマフラーを捨てろと言われたことを思い出すと、無意識に苦い笑いが漏れ出た。その笑いを、明奈は照れだと勘違いした。
「つけるよ。俺のためにせっかく作ってくれたんだから。……あったかいし」
 明奈は真ん丸の大きな目が細くなるくらい顔をくしゃくしゃっとして笑った。その笑みには、喜びと安堵が滲んでいるように見えた。
「よかった」
 明奈は涙目になっていた。
「どうかした? 何で泣くの?」
「泣いてないよ」明奈はくるっと反転し、そしてまたすぐに三浜に向き直った。目元は乾いていたが、少し赤くなっていた。「三浜君には彼女がいるんだろうなって勝手に思ってたから。ずっと。クリスマスを断られた時も彼女とデートなんだ、って。でも彼女がいるなら、初詣も彼女と行くでしょ? だから今日、こうして初詣に来てくれて彼女いないのかなって思えて、そしたらちょっと込み上げて来ちゃって……」
 それで安心したような表情になっていたのか、と三浜は納得した。だが納得すると、今度は三浜の胸に一抹の不安が芽生えてきた。その不安は明奈の言葉が正しいと思えば思うほど、大きく膨らんでいった。明奈が言ったように凛が三浜の恋人であれば、年末年始に実家に帰る前に三浜と初詣に行くくらいの予定は立てたはずだ。でも凛は三浜の恋人ではないから、三浜との初詣など気にせず気軽に実家に帰ることができるのだ。凛と正式に恋人となれば、凛にとって自分の存在が大きくなり、その存在の重要さが増すはずだと思った。恋人同士なら、今も凛と一緒に過ごしていたはずだ。それは初詣に出掛けようが出掛けなかろうが。凛は俺に好意を持っている、三浜にはそういう手応えがあった。それはセイレーンの中での話ではない。社会に生きる男女として、お互いに惹かれ合っていると確信していた。凛ほどの女性がクリスマスを共に過ごしてくれるというのは、そういうことだからである。だが今回の帰省はどう考えればいい……。日頃の凛の態度からして、三浜を放って奔放な行動に出ることは不思議ではない。だが新年の始まりに、想いを寄せる男と顔も会わせずに帰省などするだろうか。凛は本当に、俺に好意を持っているのだろうか? その不安が、賽銭を投げ入れ澄み切った様子で礼拝する明奈の横顔を見ていると、ひどく現実的であるように思われた。明奈が目を開けると、三浜は賽銭を投げ入れるのに手が震えた。三浜は震える手を合わせただけで、何も祈ることなどできなかった。参拝を済ませた後、明奈の希望で恋御籤を引いた。明奈はまるで子供のように浮かれた様子だったが、三浜は何を思うこともなく恋御籤を引いた。明奈は一緒に結果を見ようと言ったり、先に三浜だけ結果を見るよう言ったりして、結局自分だけ先に結果を見て肩を落とした。
「凶だ」明奈は下唇を突き出した。拗ねたような顔が、まさに子供だった。「最悪……。恋愛――深入りするな、か。三浜君は?」
 三浜は、折り畳まれたお御籤を開いた。結果を見て、苦笑した。
「大凶だって。大凶なんて本当にあるんだな……」
「恋愛――」明奈が代わりに読み上げた。「茨の道……だって」
 明奈は真ん丸とした目でじっと三浜を見つめた。そして自分の凶のお御籤を見て、もう一度恋御籤を引こうと言った。お御籤などそう何度も引くものではないが、仕方がないので三浜も付き合った。だが結果は、何度やっても同じだった。明奈は凶で、三浜は大凶。この結果は、さすがに笑えなかった。
「違うお御籤を引いてみよう」
 三浜の提案を明奈は承諾した。恋愛運だけでなく、病気や金運なども占えるお御籤を引いた。先に結果を見た明奈は、ほっとしたように息を吐いた。
「吉だ……よかった」
 続いて三浜も結果を確認した。凶だった。大凶ではなかったものの、もはやこの結果にこまごまとした信託など目を通す気にもならなかった。三浜は木の枝に今日引いたすべてのお御籤を括りつけた。明奈も同様に、吉以外のお御籤はすべて括りつけた。
「気晴らしにどこか行こう」
 三浜は虚勢を張った。信心深いほうではないが、こうも立て続けに凶を目にすると、さすがに応えた。
「いいの?」
「今日は時間あるし。ここからだと、靖国神社か……でも神社はちょっとな。後楽園とかはどう?」
「いいね、後楽園」
 二人は後楽園に向かった。昼食を済ませ、落ち込んだ気持ちを遊園地でリフレッシュした。東京ドームシティを散策した後で、庭園でのんびり羽を伸ばした。

18-2へと続く……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?