連載長編小説『美しき復讐の女神』4-2
三日後、三浜は再びセイレーンを訪れた。前回セイレーンを去る時に事前に凛を指名しておいた。本音を言えば翌日にもセイレーンに足を運んで凛と話をしたかったのだが、やはり三浜と同様凛を目当てに来る客が後を絶たないそうで、今日まで予約が取れなかった。
三日なら早いほうだろう、三浜はそう思ったが、どうやら凛は客を選んでいるらしかった。指名されてすべての客についていたら、体がいくつあっても足りないのだろう。その中で、新規の客として凛に受け入れられた三浜は、彼女と親しくなる可能性は大いにあると踏んでいた。もしかしたら深い関係にもなれるかもしれない。この前は大将の価値観を一蹴した三浜だが、男として共感できないことはなかった。三浜自身、凛を見ていると体が疼いて、彼女の体に触れてしまいそうになる時があった。
そう易々と凛は気を許してくれない。前回厚化粧のホステスの受けた辱めの報復をして来たように、三浜に対して好印象は抱いていないはずだ。三浜は焦らず、じっくりと凛を懐柔して行こうと考えた。この三日間で、三浜は会話を弾ませるための対策を練って来たのだ。
しかしどれも空振りだった。
まずは凛のことを知ろうと思い、ホステスの他に何か仕事をしているのか、とか、学生時代の話とか、同年代という利点を活かして共有しているであろう流行や時事問題について話を展開しようと画策したが、凛は短く一言で、淡々と返事をするだけだった。念入りに準備をし、金剛石をも切断するほどに研ぎ澄ました三浜の矛は、凛の間合いに入った瞬間、無惨にも真っ二つにへし折られ続けたのだ。
三浜は自身の高校時代の思い出を、特に個性的な教諭や学園祭の出来事などを語ったが、これも空振りに終わった。凛は刺すような目で三浜を見つめるばかりであった。
「凛に、もう少しちゃんと接客するよう言ってもらえませんか」
凛との時間に満足を感じられない三浜は、帰り際玲華に言った。勝気で男を見下ろす女ほど口説きがいがあると三浜は思うが、何時間もあの手この手を尽くしてこのザマだ。もはやお手上げだった。研ぎ澄ました矛と共に、三浜の心も折れてしまっていた。
「時間が経てば変わるわ。お客様は大切にしないといけないけど、今回は三浜君が蒔いた種だし……」玲華はホールの隅の席に着く凛を見てから言った。「もちろん接客はちゃんとするように注意はするけど、お客様はお客様であって、神様じゃないから。最初に来てくれた時の三浜君の感じは、怒鳴られるよりも屈辱的なことなのよ、我々にとっては」
「それについては、反省してます。機会があればこの前の方にも謝罪します」
「謝罪なんていらないわ。今後もウチに来てくれるつもりなら、態度で示してくれればそれでいいの。そのほうが、直接的な言葉よりも効果的よ。謝罪の言葉はお互いを変に委縮させるだけだから」
三浜は玲華の言葉に納得した。そして二日後に予約を取り、再三凛と話をしたが、相変わらず凛は接客態度を変えようともせず、ただ冷めた視線を三浜に向けるだけだった。その後も三浜はセイレーンに通い続け、気がつけば大将に連れられてから一ヶ月が経ち、十月も下旬となっていた。
玲華の言った「時間が経てば変わるわ」という言葉を信じてセイレーンに通い続けているが、凛の様子はまるで変わらない。しかし三浜は、セイレーンに来る度に、凛の美貌に魅せられていた。
切れ長の目を美しく見せる長い睫毛が、ゆっくりと上下した。艶やかな口紅に彩られた唇は閉じられたまま、胸が大きく上下した。日本人離れした高い鼻が深呼吸をしたのだ。
三浜は赤ワインを口に含んだ。喉が焼けるように火照り、適度に感覚を鈍らせてくれる。
「隣に座ってもいいかな?」
三浜が訊くと、凛は紅潮した頬を弛緩させた。凛の反応に、三浜の酔いは一気に醒めた。
「私が隣に行くわ」
そう言うと、凛はカツカツとハイヒールを奏で、どかっと三浜の傍に腰を下ろした。酒臭い息を三浜の顔に吹き付けると、凛は自慢の長い脚を組むようにして、三浜の膝まで巻き込んだ。
ドレスから露になった太腿と、すぐそばに感じる凛の熱が三浜の体温を上昇させた。顎を引くようにして傍を窺うと、そこには美しい凛の顔があった。目が合うと、凛は三浜の顔を顎から品定めするように、見回した。
そして、笑った。
微かに開けられた唇が、三浜を誘惑した。このまま唇を奪ってもいいものか。凛の吐く赤ワインの息と、凛から放たれる甘い香りが混ざり合って、三浜の思考を鈍らせる。三浜は、そっと凛の肩を抱いた。
その時、凛が耳元で囁いた。「ずっとこうしたかったんでしょう?」
「え?」
その瞬間、三浜は我に返った。自分に巻き付いた凛の脚、自分の手が触れている凛の肩、二人の同じ吐息、それを感じると、まるで神経が逆撫でされたみたいに恐ろしくなった。しかし目の前の凛の美貌に吸い寄せられ、気がつくと陶酔の中にいた。
「私を、どうしたいの?」
「どうって……」
顔を背けた三浜の腕に、凛が縋りついた。豊満な胸を三浜に押し付け、甘い香りを放つ黒髪を三浜の顎に微妙に沿わせた。
「抱いて」
凛の言葉に、三浜の全細胞が粒めき立った。
「こんなところで……ばれたらまずいんじゃ」
「馬鹿なの? ぎゅっと抱きしめてってこと」
「そんな紛らわしい言い方じゃなくてよかっただろ」
そう言いながら、三浜は凛を腕の中に抱いた。張りのある肌が、体を締め付ける三浜の腕に反発する。その力強さに、三浜は思わず笑みを浮かべた。
「もっと……もっと飲みましょう」
「そうだな。何が良い?」
「私に似合うシャンパンを」
「いいのか? 好きじゃないんだろう?」
「ここまで酔えば、味なんて気にならないわ」
シャンパングラスを合わせて微笑む凛の顔は、素面の時とはまるで違った。冷ややかな雰囲気などまるで感じられず、甘えてくる態度はむしろ温かい。刺すように鋭かった瞳も、角が取れたみたいに柔らかくなった。
素面の凛と今の凛、そのギャップに三浜はさらに心惹かれた。普段は勝ち気で男を見下しているところがあるが、その性質を残しつつ甘えてくる女の子らしい凛の姿は、どんなに強い酒よりも三浜を酔わせた。
「やっとまともに話せたよ」
安堵の声が、つい漏れ出てしまう。
「まとも? こんなのがまともなの?」凛は三浜の上に跨って、黒々とした瞳で見下ろしながらロゼ・シャンパンを流し込んだ。「靴脱がせて」
三浜は戸惑いつつ、跨る凛のハイヒールを脱がせた。三浜が上半身を起こすと凛がボトルを持って笑っていた。ハイヒールを渡すと凛はそこにロゼ・シャンパンを注ぎ、三浜に渡した。
「何度も私に会いに来てくれたお礼。それ、飲みなさい」
「いや……でもこれ」
「飲めないの?」
凛は嘲るように舌を見せると、挑発的にゆっくりと自分の唇を一周舐めた。澄み切った赤い冷笑を口元に帯びると、艶然とした輪郭の顎をしゃくった。
三浜は、言われるがままハイヒールに注がれたロゼ・シャンパンを飲み干した。
5へと続く……