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連載長編小説『滅びの唄』第三章 教団清樹 7

「さっき枝野と会ったよ」
 翠風荘に着いて二階に上がると、杉本はまず千鶴とデイルームに腰を落ち着けた。枝野に対する胸のモヤモヤが拭えないまま、祖母と会うのは何だか嫌だった。
 杉本の心境を悟ったように千鶴は言った。
「あまり嬉しくなさそうに見えるけど? ちょっとやつれてるからかな……凌也、痩せた? ちゃんと食べてる?」
「枝野と会うことは嬉しいんだ。でも、その枝野がちょっとおかしくてさ……」
 杉本の体型の変化は無視した。しかし千鶴の指摘は的確で、最近では劇場で珠里と夕食を摂ることが殆どだった。そのため最近の夕食は食パンかおにぎりだった。カップ麵や弁当を珠里は好まない。そんな彼女の手前、杉本は遠慮して同じものを食べているのだ。帰宅後はシャワーを済ませると疲労ですぐに寝入ってしまう。だから空腹感に悩まされることはなかった。
 食事量の減少は自覚していたのだが、千鶴に指摘されるほど外見に変化が出ているとは思わなかった。杉本は自分の顔があまり好きではないから、滅多に鏡を見ない。鏡を見ても、髭を剃る時くらいで、その時も鏡にぐっと顔を近づけるため、顔全体は視界に入らないのだ。
「おかしい? 何それ、どういうこと」
 杉本は枝野が教団清樹を崇拝し始めたことを千鶴に明かした。たった今、高瀧のコンサートのために静岡に向かったことも。
 やはり千鶴は困惑していた。「どうして、どういうことなの……え、突然わけがわからないんだけど」と繰り返す。彼女の視線は当てもなくデイルームの中を彷徨っていた。
「恋人に残酷な振られ方をしたんだ」
「残酷って、何?」
 杉本は枝野の恋人が浮気していたこと、その浮気相手と結婚すること、そしてすでに身籠っていることを話した。杉本の話を聞く千鶴の顔は生理的な拒否反応を示して歪んでいたが、話し終えた時には平静で、楽天的な顔になっていた。
「それは確かに残酷。でもさ、男ならいつまでも引きずってないで、スパッと切り替えたらどうなの? そんな振られ方して辛いのはわかるけど、男のくせに何ヶ月も引きずるなんて女々しい」
 杉本は思わず笑ってしまった。千鶴が枝野を女々しいと一刀両断に切り捨てたのが可笑しいというのもあるが、それよりも杉本は、学生時代に考えていたことを思い出して笑い出さずにはいられなかったのだ。当時の自分の感覚は正しかったと杉本は思った。
 中学、そして高校に通っていた時、杉本は枝野と千鶴がお似合いなのではないかと思っていた。千鶴は昔から我が強く、頑固で面倒な部分があったが、その分芯が一本通っていて陽気だ。対して枝野は人前に出ることを苦にしない、学級委員長に立候補するような男だ。それが示すように行動力があるのだが、その分失敗した時の代償は大きい。枝野は昔から、ちょっとしたことで感傷しがちだった。だからそんな時、尻を叩いてくれる女性がいればいいのに、と杉本は考えていた。当時枝野に最も適している女性だと思ったのは、やはり千鶴だった。彼女のぶれない芯はきっと枝野を支えてくれると思っていた。
 しかし枝野には常に恋人がいた。そのため枝野と千鶴が交際関係に至るなんて誰も考えなかっただろう。杉本だって二人はお似合いだと思ってはいても口には出さなかった。
「手厳しいな」杉本は千鶴に言った。「でも考えてみ。枝野、学生の頃ずっと恋人がいただろう? 何度も別れ話を耳にしたけど、別れを切り出していたのはいつも枝野のほうだった。だから今回、枝野は初めて味わう失恋なんだ。それも酷い振られ方をした。感傷的になるのはわかる気がする」
「一回振られたくらいで宗教にハマるなんて、いくらなんでも脆すぎる。確かに苦しいだろうけど、自力で切り替えないと、一生変われないんじゃない?」
「千鶴からちょっと励ましてやってくれ。一喝したっていいからさ」
「何それ、嫌よ。これまで女子を散々泣かせてきた天罰が下っただけなんじゃない? 反省するいい機会ね。励ましに行って、もし私が宗教に引きずり込まれたらどうするの?」
「千鶴は大丈夫だろう。宗教に誑かされるような玉じゃない」
「何それ、ふざけんな」
 千鶴は破顔して、杉本の肩を拳で叩いた。杉本は逃げ去るようにして祖母の部屋に向かった。ゆっくりとドアを開けると、いつもより緩やかな角度に寝転ぶ祖母の姿があった。そのため、棚に飾られた写真がいつもよりよく見えた。
 杉本は祖母に微笑み掛けた。

8へと続く……

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