連載長編小説『美しき復讐の女神』12-2
銀座のイルミネーションを眺めながら、凛とベンチに並んで腰かけた。お互いが手に持つホット・ココアの湯気が唇を湿らせる。夜も深まり一層冷え込みが激しくなったが、凛と体を寄せ合っていると、寒さなど微塵も感じないでいられた。しかしココアを飲むと胃袋から胸全体までその熱さが沁み渡った。
「寒くてもう酔いが醒めた」凛はココアを握りしめて言った。
「今日はあんまり飲んでないから、そもそも酔っ払ってないだけだよ」
「銀座に来て私を焼き肉に連れて行くなんて、何を考えてるのかしら」
三浜は組んでいる凛の腕をぐっと引き寄せた。「不満だった?」
「大したもんよ」凛はそっとココアを飲んで、顔をしかめた。「おじさん達に連れられる店は高級フレンチか寿司屋ばっかりだから、焼き肉もなくはないけど、銀座に来たら殆どお寿司ね」
「さっきの店も高級店だ」
「わかってるわよ、そんなこと」今度は凛が三浜の腕を引き寄せた。「ホステスを連れ出すのに焼き肉って、発想が若いなって思っただけ」
三浜はココアをベンチの端に置き、空いた手で凛の前髪を掻き分けた。陰った顔が電飾で照らされ、切れ長の目が夜にもはっきりと見えた。だが電飾の無数の色に照り付けられた顔は、普段の何倍も魅力がなかった。凛はこんな演出など必要としないのだと思い、三浜は感動した。
「ちょっと酔ってるじゃないか」
三浜は凛の赤い頬に触れ、微笑んだ。凛が長い睫毛を伏せたのを見て、そっと唇を重ねた。ゆっくりと上げられる瞼に色気がこぼれた。
「そうかも」
「たった二杯のビールで?」
「うるさい。イルミネーションのせいかも」
「そんな性質か?」
「私だって女よ。感傷に浸ることくらいあるわ」
三浜はココアを一口飲み、凛の眺めている木を一緒に眺めた。
「最近店を休みがちらしいけど、何かあった?」
「お母さんがね」凛はこちらを見ずに言った。三浜は凛の横顔をちらっと見、その美しさに見惚れてから木の電飾に視線を戻した。「調子悪くて」
三浜は納得した。
「それで実家に帰ってたのか」
「そう」
「他に休んでる日も実家に?」
「大体はね。介護とは言わないけど、親の面倒見るって体力勝負だから。……だから何日かは体を休めるために休みをもらってるの」
「親の面倒を見れるのも幸せなことだよ」
三浜はぽつりと呟いたが、凛が何も答えないので少し不安になった。
「凛?」
「……幸せ、ね」
電飾に照らされる凛の横顔がふと翳った気がした。だがそれが何のためなのかはわからなかった。ただほんの一瞬翳った横顔も、どこか儚げな、冷たく美しい頬にすぐに溶け込んだ。
「でも仕事を休んで実家に戻ってるってことは、それだけ親を大切に思ってるってことだ」
「そうね」
凛がココアを飲み干すのを待って、二人は立ち上がった。凛は三浜と腕を組みつつ、赤のトレンチコートのポケットに手を突っ込んでいた。三浜は凛と手を繋げない代わり、ぐっと体を寄せて歩いた。
夜の冷気に、甘い香りが脳を満たした。
「クリスマスだけど、こうして一緒に過ごせないかな」三浜は沈黙を破った。
「クリスマスか……。考えとく」
「先約でもあった?」
「いや、店を休めるかなって」凛はハイヒールの爪先で器用に石を蹴った。「他のお客様にも声を掛けられるかもしれないし」
「その時は」三浜は焦りに身を任せて言っていた。「その時は俺を優先してくれるんだよな」
凛は微笑を浮かべた。
「さあ。でも前向きに考えておくから、心配しないでいい」
「そうか。それならいいんだ。予定が決まったら、連絡して」
「わかった」
また沈黙が訪れた。銀座の夜は、上品な静寂に包まれていた。その中で、ちらほらと恋人達の囁く会話が夜を彩っている。数々の紳士淑女の中で、凛と並んで歩いているだけで自分の品格すら磨かれているように三浜は感じた。
厳粛な、静かな夜の闇の中を、凛と二人で進むのは何とも誇らしい心地がした。二人の無言は、華やかな舞踏会の中心で舞うみたいに思われた。
13へと続く……