久しぶりに石切りの話(仕事✖ 為事◎)
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ユニクロの柳井社長は2017年FRコンベンションの挨拶で石切りの話をしています。以下が記事の内容です。
「以前、皆さんにご紹介したピーター・ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』の中に、西洋の有名な寓話があります。ある建築現場で、三人の石工に『今、何をしているの?』と尋ねた。一人目の石工は『石を切っているんだ。見ればわかるだろう』と答えた。二人目は『お金を稼いでいるんだ。生活があるんでね』と答えた。三人目は『みんなで神様にお祈りするために、教会を建てているんだ』と答えた」
「私は皆さんに三人目の人になっていただきたい。この違いは明らかです。やっている作業は同じでも、仕事の目的や意義をハッキリと意識し、『何のために』『誰のために』という使命感を持って働くことで、大きな違いが出るのです。と柳井社長は挨拶しています。
私はこの話を以前から知っています。なぜならば、現会社の新入社員研修でこの話があったからです。この時に「なるほど」と強烈なインパクトあり、常に胸に刻んでいます。「何のために生きるのか?」「誰のために働くのか?」「自分はどうありたいのか?」を日々、自問自答することで自分自身を安定させています。時々、考え過ぎてドツボにハマってしまうことも多々ありますが・・・一方で、こういったことを考えて働いていると少なからず衝突もあります。「頭が固い」「人生はそんなことじゃうまくいかない」「大人の事情も考慮しろ」など色々と指摘やお叱りを受けます。ごもっともです。ここら辺の柔軟性の無さが私の課題です。
この石切りの話、実は2年前に新店オープンの為に集められた社員やスタッフに向けての講話時に若干自分なりに工夫して話しました。*NOBORU MARUYAMAさんの資料も使わせてもらいました。
上記がその時に使用したスライドの一部です。石切りの話に例えると「作業」=「石を切っているんだ。見ればわかるだろう」 「仕事」=「お金を稼いでいるんだ。生活があるんでね」 「為事」=「みんなで神様にお祈りするために、教会を建てているんだ」となります。横軸に「やりがい」、縦軸に「幸福度」としました。これはFBL大学で学んだ発想です。しっくりきます。
為事とは・・・昔は仕事のことを「為事」と書いて「しごと」と呼んだそうです。ところが江戸の頃になって、「仕える」の「仕」の字を使うようになったといわれます。終身雇用が当たり前の時代は「仕える」を意味する。
それに加えて、上記のスライドを説明して為事の価値観を共有しました。*お金は重要で否定しているものではありません。
地域にクラブを構え、為事としてフィットネス(健康)を提供する上での価値観です。多数のスタッフで運営しますので、ここに不具合が大きいと居心地が悪いし、サービス内容も不安定になりますので非常に重要です。逆を言えば、合わない方はチームに入れないということを明確に伝えることで良いスパイラルが回ります。
このコロナ禍で状況が一変しているので、「何のために生きるのか?」「誰のために働くのか?」「自分はどうありたいのか?」を自問自答することが多いです。初心に戻って石切りの話をまとめてみました。皆様はどうでしょうか?
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