私の おばあちゃん


4月19日

お母さんから突然の電話でおばあちゃんが亡くなったと聞かされた。
お母さんは焦りを抑えて正気を保とうとしてなるべくいつものように話していたけれど、私にはお母さんの動揺がしっかりと伝わってきた。

だけど私はその電話で何を話したか覚えていない。父方のおじいちゃんが2月に亡くなったばかりだったので、亡くなった後の忌引きの間に出来ることを伝えたくらい。
とにかく今出来ることは私には無かったから、お母さんからの連絡を待つしか無かった。



その後の私はどうやって気持ちを支えていたのか、どんな感情だったのか、それもうまく言葉にできない。

漠然と、大切な何かが見えないところで消えてしまった、そんな感じたことの無い、喪失感のようなもの。

何よりも、私には実感が湧かなかった。

漠然とした存在が亡くなっていたということ。
おばあちゃんについてより深く知れたのは、
亡くなってからだったから。


おばあちゃんは母が小さい頃から毒親だった。
私が聞いた話しでは母が振り返った瞬間、ナイフが飛んできた事があったという。
きっと子供の私に気を遣って話していないことは沢山あると思う。トラウマになるくらい辛いことがあったことは伝わっていたよ。


母は、おばあちゃんとの生活に限界を感じ、家を飛び出して一人暮らしを始めた。
家を出るとき、私を置いて一人にして行くんか。と最後に言われた話しを何度か聞いた。


私は会ったことも話したことも無い。
だけどそれは愛情表現の仕方が間違っていたという事なんじゃないかと思う。
私が小さな時に見た、母が持っていた写真に、若い頃のおばあちゃんと産まれたばかりの母が写っていた。
若い頃のおばあちゃんはとても母によく似ていた。楽しそうに笑いながら母を抱いてカメラをのぞき見ている一枚の写真だった。


人間には混在してる沢山の感情と性格があることも、それらは変化していくことも理解できるけれど、その時、その瞬間のお母さんには母が愛おしく想っていた。それが確かな瞬間だったと証明するような写真だった。




母は家を出てからも何度か会おうとしたけれど、向こうから完全に拒否されて、それ以来1度も顔を合わしていない。母は結婚や出産の度に、写真と手紙を送っていた。私たち孫の写真も送ってくれていた。それが母の精一杯の愛情の返し方だった。



亡くなったあと、遺体の面会ができる状態ではあったけれど、母はトラウマが蘇り辛い思い出になってしまうから、会わないことを選んだ。

色んなやり取りが終わって、遺品整理をしに行った母から今までおばあちゃんに送った写真が全て綺麗に残されていた事を聞いた。母の小さな頃の写真も、私たちが写った写真も。



会ったことも話したことも無い、血の繋がったおばあちゃん、私にもおばあちゃんと似ている所があったのかな。
おじいちゃんの手の形が私の手の形とそっくりなように、おばあちゃんの体が私にも受け継がれているよ。そう思うだけでおばあちゃんが近くにきてくれたように思える。

おばあちゃん、分からないことばかりだけど、おばあちゃんがいなければ私はここにいないんだよね。
生まれたことを簡単に肯定する事はまだ出来ないけれど、私が生まれてから苦しい時に救ってくれたのは母だったから、そんな存在を私に与えてくれて、ありがとう。
おばあちゃん、あなたを想う家族が、ここにいるよ。

亡くなってもひとりじゃないよ。

おばあちゃんの想い、本当に伝えたかったこと、そんな事を聞くことも、思いを届けることももう出来ないけれど、あなたを想うたびにあなたの周りに花が降るように。


あたたかくて止まらない涙が溢れているよ。

ひとりじゃ、ないよ。

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