なんだか今、心が苦しいな。 そう気づいて、深夜の部屋の片隅に縮こまり、 足をかかえて三角座りになる自分の姿を鏡越しに見つめていた。 昨日見た気味の悪い夢、その夢が忘れられず、 夢占いをしてみたけれど夢の反復にしかならなくて、私は平気だったのに、今日は夢のせいで自分が良くない状況にいると気付かされてしまった。 夢は気づきを与えてくれる、体と心の調子をそのまま映し出してくれるから私は自分が見る夢をだいぶと信頼している。 こんな風に硬いフローリングの上で縮こまって想いに耽って
4月19日 お母さんから突然の電話でおばあちゃんが亡くなったと聞かされた。 お母さんは焦りを抑えて正気を保とうとしてなるべくいつものように話していたけれど、私にはお母さんの動揺がしっかりと伝わってきた。 だけど私はその電話で何を話したか覚えていない。父方のおじいちゃんが2月に亡くなったばかりだったので、亡くなった後の忌引きの間に出来ることを伝えたくらい。 とにかく今出来ることは私には無かったから、お母さんからの連絡を待つしか無かった。 その後の私はどうやって気持ちを支え
ソフィーの言葉。 最後のこの言葉で私は全てを認められたような気持ちになっていた。 物語とは全く関係の無い私の傷んでいた心が救われた気がした。 鬱という、いつ始まっていつ終わるのか輪郭が見えない掴めない悪夢の中で、気付いたら2年が経っていた。 その間私は苦しいことから徹底的に離れてやっと人間の形をしていられるだけになった。 周りの人に苦しみの原因になるものを分けて、支えられて。 それに対しても死にたくなるほど自分を責めた日も沢山あったし、簡単には書きたく無いほど死の淵を歩い
夕陽を見ている間 私は境目のない空の粒子に溶けてゆく 音も光も感覚も感情も思考も身体も心も ただただ緩やかで柔らかく 溶かされてゆく 帰り道を静かに歩きながら 溶けていた私はまた形成されて 生活を始めてゆく それはとても不思議でおかしな感覚 だけど人が救われるものは そんな形のないものでもいいでしょう? 夕陽を見つめる その間だけは 確かに私自身がひとつの自然に還る その間だけは 全てが許されている。許される。 そんな気がしているから。 だから私は夕陽に会いに行く。
春の新しい空気が、私の鼓動を大きくする。 私は早くなる鼓動を止められないでいる。 わくわくして、急かされているような、 春だから。 模様替えをした。ベットと机の位置を変えて、 新しい景色で眠るのに少しそわそわするから キャンドルの灯りを見つめてみた。 以前と変わりなく、睡眠プレイリストを流して 静かに眠りがくることを待った。 模様替えをしてから、遠くの沈んでいく夕陽を見ながらお茶が出来るようになって、とてもうれしくて口角があがる。自分のためだけに、安らぐ空間を作れること
いつ私にかけられた呪いに気付いたんだろう。 気付いてみれば自分の内側も外側も呪いばかりで、思考の押し付けや当たり前という価値観や感覚が呪いとしてあたり一面に広がっていてね、それは自己を確立する為に疑うことも無く周りの環境によって作られていって、いつの間にか苦しみに変わっている。 でもその呪いは敏感でもろくて優しい、弱さを認めた、弱くて強い人が解ける呪いなんだとも思う。呪いに順応出来なくていつも違和感があったり、思考する間もなく押し込められた呪いの価値観によって殺されかけた