生活
なんだか今、心が苦しいな。
そう気づいて、深夜の部屋の片隅に縮こまり、
足をかかえて三角座りになる自分の姿を鏡越しに見つめていた。
昨日見た気味の悪い夢、その夢が忘れられず、
夢占いをしてみたけれど夢の反復にしかならなくて、私は平気だったのに、今日は夢のせいで自分が良くない状況にいると気付かされてしまった。
夢は気づきを与えてくれる、体と心の調子をそのまま映し出してくれるから私は自分が見る夢をだいぶと信頼している。
こんな風に硬いフローリングの上で縮こまって想いに耽っていると、私は高校のころから変わらないなと思った。あの頃は自分の内側の混濁した重たい部分も、それをそれとして認識するのも初めてで、錘のような鬱が自分の中にある事も認めたくなくて今よりもずいぶん過酷な生活だったなと思い出した。
それでもその時、一つ一つの感情に私は真正面からぶつかり、はじかれ、負けて、諦めて、なすすべなく、全てを受け止めるということを知った。
きっと、これから新しい人物と繋がりを持って、生活がいくら変わっても、私は社会の中で必ず何か理由を探してまた鬱に耽ってしまう。
だけど、ここ数年で自分の内側にあるものとの付き合い方がほんの少し上手くなって、かけがえのない存在がいてくれて、あなただけの世界に引き込まれすぎないで、と手を引っ張ってくれる。
ながい命を生きる人間は、変わらない魂によって、吸い込みやすい感情たちに囚われ、自由になんていられないけれど、時間をかければかけるほど、自分の特性を知り、自分との付き合い方がほんの少し、わかるようになる。ほんの少しずつ、やり過ごし方、乗り越え方、生き方を掴んでいくもの。
だから、今日も深夜の湯船に浸かって内側を少しだけ薄めて、朝には疲れ果てて眠ろう。
あなたが見つめるものは、いつまでも変わらない。目に見えないものを、信じ続ける。
あなただけの信仰を、誰にも触れられない強い光に変えていこうね。