韓国ミュージカル『ファンレター』の世界②
ミュージカル『ファンレター』は実在の作家、作品をモデルに作られた物語である。
元ネタを知っているだけでもこの作品のこだわりが感じられるので一部取り上げてみる。
キャラクター編〜イユン〜
ヘジンの文学仲間で親友でもあるイユン。
ヘジンが恋している相手ヒカルはセフンと関わりがあるのではないか、もしかするとセフンがヒカルなのでは…と疑い始める。物語を動かす重要な人物だ。
天才作家・李箱
イユンは実在した李箱(イサン)という詩人・小説家がモデルになっている。
「九人会」という文人集団に属しており、多数の小説や詩を残したが、結核を患い、その後東京で不逞鮮人として勾留され27歳という若さでこの世を去った。
前章で述べた【SMOKE】はじめ、様々な場面で時代を超えて愛され、その評価も高まっている作家である。李箱文学賞は「韓国の芥川賞」と言われている。
私が韓国で大型書店に行った際も平積みで本が並んでおりその人気を感じた。
劇中歌「遺稿集」と李箱の『翼』
『ファンレター』の物語は1937年京城(現ソウル)にある三越百貨店の屋上から始まる。
屋上にいる人々は新聞を片手に次のように歌う。
このシーンは李箱の『翼』という小説がモチーフになっている。
『翼』では主人公が三越百貨店の屋上へ行く。すると、背中から翼が生えてくるような気がした。そして物語はこう締めくくられる。
「叫んでみたかった」が叫ばない。
三越百貨店という日本の統治を表す象徴的な場所で自由な発言も許されなかった時代を描いた『翼』という小説をミュージカルの冒頭部分に持ってくることで主人公たちの置かれた状態がわかりやすく表現されている。
『翼』では主人公が三越の屋上で正午のサイレンを聴く。このサイレンは『ファンレター』の中でも鳴り響く。
サイレンは日本統治時代を表す象徴であるという。事実、中原中也の詩「正午」にも次のようにサイレンが登場する。
中也のこの詩は1937年に発表され同じ頃この世を去った。李箱の「翼」の発表が1936年で、死去したのが1937年。同じ時代を生きた2人に共通して描かれていることからいかにサイレンが日常に溶け込んでいたかわかるだろう。
つまり李箱の作品は『ファンレター』の中で時代を伝える役目を果たしているのだ。
劇中歌「鏡」と李箱の『鏡』
1幕、ヘジンがファンレターの送り主「ヒカル」を女性だと思っていることを知り混乱するセフン。どうすればヘジンに許してもらえるか…どうすれば尊敬するヘジンを悲しませずにいられるか……
考えた結果セフンは「ヒカル」を演じることを選ぶ。
鏡を見ながら「年は?」「誕生日は?」「顔は?」と自問していくうちに鏡の中にヒカルが現れる。
李箱の作品にはモチーフとして鏡が多く存在する。その中でも『鏡』という有名な詩がある。
ヒカルはセフンだ。似ている、というより全く同じ人物である。
ただヒカルはこうでありたいというセフンの理想像であるため全てが正反対だ。
大胆な性格も、ヘジンから愛されるということもすべて正反対だ。それはセフンを苦しめることになる。
鏡の中の自分は自分と同じ行動をするがそれは左右対称となるため握手はできない。つまり分かり合えない存在でもある。
ヒカルとセフンの行動はシーンを重ねるごとに乖離し、対立する。
ミュージカルの後半、セフンがもうヘジンを騙すのはやめようと言い出した時にヒカルが次のように歌う。
敢えて李箱の有名な詩を鏡の中からの視点で歌うことによりヒカルの狂気的な一面を際立たせている。
ヒカルはセフンの中の理想。セフンとして文字を綴り、セフンとしてヘジンから愛されたかった。だが愛されたのは正反対の鏡の中の自分だった。
鏡と李箱の作品を通し、主人公の葛藤と苦悩を見事に表現している。
キャラクター編〜ヘジン〜
ヘジンはセフンが尊敬する作家だ。
優しく穏やかで、だがどこか儚いキャラクターは主人公のセフンだけでなく観客をも虜にする。
自然を描いた作家
ヘジンは小説家・金裕貞(キムユジョン)がモデルになっている。李箱と同じ「九人会」のメンバーであった。現実でも李箱と金裕貞は仲が良く随筆にもしばしば登場する。
プロレタリア文学に対抗して純粋文学の発展のため集まった「九人会」。
その中でも金裕貞は特に自然と共に生きた田舎の素朴な生活を描いた作家である。
この一節は、劇中セフンがヘジンの小説を読み感銘を受けるシーンとしてそのまま引用されている。
自然の風景を描いたこの短編小説が、日本での留学生活に疲弊したセフンの心を解いてゆく。
そしてセフンはヘジンにファンレターを送るという物語の導入部分でもある。
劇中歌「生の伴侶」と金裕貞『生の伴侶』
これは金裕貞の小説「生の伴侶」に書かれた一文だ。1936年に書かれた中編小説で、友人が主人公のラブレターを届ける物語だ。
『ファンレター』の中盤。
ヘジンに正体を明かしたくないセフン。しかしヘジンは封筒に書かれた住所まで「ヒカル」に会いに行こうとする。焦ったセフンはヘジンを止めるため「ヒカル」は病気だから会えないと嘘をつきその代わり二人で小説を書こうと提案する。
その小説のタイトルは「生の伴侶」。
金裕貞の小説がミュージカル『ファンレター』の中ではヒカルとヘジンの共作として登場しているのだ。
劇中、その小説を書きながら眠ってしまったヘジンのそばにイユンがやってくる。机に置きっぱなしにされた原稿には次のように書かれていた。
まるで劇中のヒカルに振り回されるヘジンの日記のような内容だが、この部分、金裕貞の「生の伴侶」を加筆修正をせずそのまま引用している。
それだけでもいかにこの小説がモチーフになっているか分かるだろう。
『ファンレター』の中ではそこまで読んだイユンが「私はこの話を知っている…」と語り(歌い)出すが、原作ではこのように続いている。
ヘジンは手紙をくれる「ヒカル」に恋をした。会ったことはないがその存在は彼の命を脅かすほどに大きい。
手紙を交わすセフンとヘジンはある意味で両思いの関係である。
だがヘジンが恋をしているのはセフンではなく手紙の中の「ヒカル」という女性であるが故に互いに複雑な片思いになってしまっている。
ヘジンにとって「生の伴侶」は遺作になる。
そして同じく金裕貞の未完の遺作でもある。
恋焦がれ手紙を書いた男性、返事を書かない女性、その手紙の受け渡しをした主人公。小説「生の伴侶」の3人の関係は『ファンレター』そのものなのだ。
春という存在
『ファンレター』において主人公が好きになる小説家はなぜヘジンであったのか。李箱をモデルとしたイユンではだめだったのか。
これはミュージカルの最後のセフンの台詞だ。
春に出会い春に別れたセフンとヘジン。孤独だったセフンに温もりを与えたのは確実にヘジンである。
『ファンレター』を制作するにあたって参考にされた金裕貞の作品は小説「夜櫻」随筆「病床迎春記」「君が春か」など。
ヘジンを表すにはこの季節がぴったりなことがわかるだろう。
上記の通りこの作品のキーワードは「鏡」と「春」の2つだろう。セフンが七人会で働く上で出会ったものだ。
しかしセフンにとって必要だったのは理想を写す鏡ではなく、心を癒してくれる暖かな春だった。
統治下における田舎の自然豊かな暮らしを描いた作家金裕貞は1937年、李箱の死の3週間前にこの世を去った。春だった。
ヘジンとは愛であり主人公の孤独を包む春のメタファーなのである。
文学作品と『ファンレター』
私がここで挙げたのはほんの一部だ。
七人会のメンバーの作品や、当時の文学に関わる内容が随所に盛り込まれてる。
私が気づいていない隠れた要素もまだまだあると思うし、違う解釈もたくさんあるだろう。
私は韓国語もまだ未熟だし、韓国で育ったわけでもないのでこれらの作品がどれだけの距離感で人々の生活に根付いてるのかも分からない。
だからこそ知れば知るほど新しい発見のある面白い作品なのだといつも感じる。
ラスト③に続きます→→→
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