名無し
高1の時の祖父の葬式についての思い出です。
高校入学してすぐ~高2の終わりごろまでの話です。
ADHDに効く何かについて書けたらと思います。
最近、露出狂と遭遇した時のことを描いた漫画をまた何人かに見てもらえたみたいで、嬉しいというか、これで誰かが何か考えるきっかけになってくれたらいいなって思っています。ありがとうございます。
胸の痛みと同じように腹痛も自分の意思じゃなく起きてることだから「怖い」のかな。腹痛は下手したら死ぬのでは?とか大げさに考えてしまう。
例えば、私はひどく落ち込むと起こる胸の痛みに耐えられないから他の場所を痛くして紛らわせる「自傷」をしてきた。そうやって痛みは自分で作り出すくらいだったのに、どうして腹痛の痛みはこうも一刻も早く終わらないかって焦るんだろう。
今私は体の調子が良くない。頻繁に腹痛が来るし下痢をしている。その他にも腫れて膿んだり血が出たりしている。腹痛に慣れてきて自分は痛みを「怖い」と感じることに気づいた。私は今まで痛みは痛みそのままでしか捉えてなかったけど、いつ終わるかわからない痛み苦しさは本当怖い。
障害者施設での殺人でナイーブになっていました
会ってもいいことはきっと無い。でもなぜか母に会いたいと思ったことは無い(架空の母は欲しい)のに兄のことは兄本人に会いたくなる。兄には罪が無いって心の底で思ってるからなんだろうな。苦しい。
兄に会いたくて泣いてる
親に反対された高校に行ってれば今頃は絶対違ってたなという感じ 親が三者面談でバッサリ切り捨てトンチンカンなことを話し始めたり本当に辛かった 違う親で人生やり直したい
親に絵だけはやめろと言われ続けて学業も投げやりになって進路も適当に決めたけど、従姉妹は当然のように美大に行ったしもう一人の従姉妹も建築の勉強してるらしいし、なんで私だけ?という気持ちが強い
なーーーんつうかもうこの世界めんどくさい なんでみんな親から愛されて生きてきたんだ 本当意味わからん 母の日父の日限らず毎日仲間外れみたいな気分!
アニメ化物語を今更ながら見て、戦場ヶ原さんが、あららぎくんにあげられるのはこれだけって星空を見せた時の戦場ヶ原さんの感覚が、ディズニーシーに彼氏と行った時の私の感覚と同じだったから、すごく驚いた。彼氏にはそれを話してないけど。
母親と最後に来た時のことは苦過ぎて思出したくない思い出なんだけど、家族3人でご飯食べながら眺めた景色の思い出が私にとって大切で、また同じ場所に大切な彼氏と2人でこれたことが幸せだった。
まだディズニーに親父もついて来ていた頃、ここで家族3人(兄は面倒くさがって家で留守番するようになっていた)でご飯食べたなぁとか、最後にディズニーシーに来た時は母親に入園即一人で来れば良かった。お前といると台無しと言われて、お土産屋の近くで泣いて、それ以降の記憶があまり無いなとか。
先日ディズニーシーに久しぶりに行った。家族との思い出が蘇ってそれは本当に束の間の幸せだった時の思い出で、私はここの思い出が大事だとわかった。 ディズニーランドには友達や元彼と行ったことがあるけど、今の彼氏と行くまではディズニーシーは家族との思い出だけだったんだなぁって気が付いた。
こいつが居なければ幸せだったという気持ちと、素直で優しいところもあるという思い出がごっちゃになっていて、おまけに知的障害者であるせいで兄は孤独で私はそれが可哀想で、将来面倒を見るか未だに心が揺れている。
彼氏もそういうことだけ言うようになって、変わって?配慮してくれるようになってありがたい。彼氏が言ったことは非人道的だけどそう思う人がいても仕方がないことで、私も知的障害者から迷惑かけられて思ったことも何度もある。だけど、私の兄に対しての感情は複雑で、兄との思い出も私の中にはあって