未だに迷走中。
自分の落語は変わってきたと言うより迷走中です。
落語は教わった通りに演れば面白いもんだと思っておりました。変な風に変えるから面白くなくなるんだ。そういうもんだと思い込んでおりました。
教わった通りに、そっくりに出来ない自分に落ち込んだりもしました。
前座時分のある時
自分の高座を降りた時に師匠のマネージャーさんから
『師匠がね、「この噺は俺が教えたんだけど、ちっとも似てないんだよ!」って言ってたよ。』
普通は誰でも初めは師匠に似るものですが、私は似ていなかった。
つまり、師匠の芸を取れていない訳です。
学ぶは真似るからという訳で、そっくり取って演っているうちに自我が出てきて、師匠から離れて行くのが理想的だと言います。
だから似ていない自分に落胆し、似ている人に嫉妬してました。
うちの師匠も上手いし形態模写も上手い。
どうして似ないんだろうか?似せてなくても自然に似るものではないか⁉︎
そんな時に師匠から
『俺の真似をするな、お前は俺とはタイプが違うから〇〇師匠の真似をしてみろ、完コピで構わないから演ってみろ!俺が似ていると認めたら、稽古をお願いしてやる。』
と言われた時に、自分の師匠に似なくて良いのか⁉︎と思い込みが変わりました。
コレが自分の生きる道なのか⁉︎とまどいもありましたが、師匠が言うならと
早速録音テープを集めて取り掛かってみましたがこれが似ない。どうしても師匠がやる物真似の〇〇師匠になってしまう。
師匠がまたヒントをくれました。
『上下が絶妙なんだよ!なんでもない事を言うだけなんだけどこの絶妙な間が大爆笑になるんだよ。』
これには驚き、師匠がそんな所を見ているとは気が付きませんでした。
私はもちろんそんな事に気が付くセンスも無いし、もちろんそれを盗めないまま、とうとう〇〇師匠は亡くなってしまいました。
どうして早く似せて、いや似ていなくても連れて行ってくれるよう師匠にお願いしなかったのか…未だに悔やまれます。
〇〇師匠のようなタイプは今ところはまだ出て来てはいないようだけど、私は恐らくその師匠のタイプではあるのでしょうけど、私の中では違うんだろうなという思いが似せないのか⁉︎
ある師匠からも、
『どうしてお前たちは師匠の良い所を取らないんだうな?』
と言われて陰ながらムッとした事がありましたが取れないんです。
ある師匠からこんな事を言われた事があります。
『稽古をしてもらう方にも器がいるんだよ!いくら良い師匠の所に行って稽古をつけてもらっても、器が無いとみんなこぼれてしまうんだよ。』
『どうやって器を大きくしたら良いのでしょうか?』
『それは稽古しか無いんだよ。』