「創作とリスク」を書いた理由
以前、「創作とリスク」と言うnoteを書いた。
僕が、法律の中でも、この点を重要視する理由は僕の原体験にある。
杜撰な労働契約
母が昔勤めていた会社は、雇用時に労働契約書を交わさない会社だった。今どきそんな会社はない。トラブルを避けるために書面を用意して、様々なことを書くのが普通であり、法律でも定められている。
母は法律知識に疎かったため、「こんな場合もあるのかな」と疑問に思わなかったらしい。だから、僕への報告もなかった。
当然、労働契約書が存在しないので、母は求人票に書いてあったこと以外の仕事をさせられ、36条協定も結んでないのに時間外労働を強いられ、しまいにはパワハラに会い、心身の健康を害してしまう。
母は適応障害になり、のちにPTSDとうつ病に診断名を変えた。
まず、怒りの矛先は、きちんとした法的書面や労働を行わせなかった経営者に向く。
はっきり言う、ゴミである。
次に矛先が向いたのは自分である。自分は労働周りの法律に詳しいのに、母を救うことができなかった。
あのとき僕が母に、「労働契約書ちゃんともらった」とさえ聞けば、「そこ、やばい職場だよ。早く辞めな」と言えたはずである。
でも僕知ることができなかった。それは僕の配慮が足りなかったのかもしれない。聞こうと思えば聞けたはずである。または、先に母に労働契約書の大切さを説くことができたはずである。
僕はこのとき、法教育や法の周知の大切さを知った。知識を持ってるだけでは意味ない。この知識を分け与えて、キッカケを作らないと意味がない。
そう思った瞬間だった。
推しVの運営の杜撰な管理と法意識
好きなVtuberがプロジェクト/グループ化し、人数が増え、管理が行き届いてない時期があった。
先例があったので、僕は厄介だと思いつつも、著作権法を中心に雇用形態や消費者への誠意を示すように要求した。
しかし一切要求は通らなかった。
その結果、僕が指摘した不適切な部分だけ、規約が消され、消費者の著作物に対する権利が曖昧になった。
マネジメントとしてこれはあってはならないインシデント回避であり、おそらくこの運営方法/法意識だと、著作権周り以外にもインシデントが発生する可能性があるので見直すように打診したが、聞く耳を持たれなかった。
数ヶ月たって僕の推しのVtuberは引退した。
誹謗中傷が広がり、ストーカー行為などの迷惑行為に遭っていたらしい。これは完全に軽犯罪法の範疇である。
しかし、運営マネジメントをしている人は、「どうしようもなかった」としか言わなかった。何かを創造するだけの人間なら仕方ないで済まされるかもしれない。しかし、「運営」と言うものは人をマテリアルとして、それをマネジメントするのが仕事であり、グループというのは、その運営やタレント全てを含有した、共通の目的を持った集団であるはずである。
法意識の欠如や、リスクマネジメントが行き届いてないためにこうなったと僕は思っている。人が絡む以上、お遊びでは済まされない。インシデントが起これば不利益を被る人が出てくる。
今後このような事例を出さないためにも、運営と呼ばれるマネジメント層へのコンプライアンス意識の強化と、タレント側が法教育をうけ、自己防衛できる姿を目指さなければいけないと強く思った。