好きなものを好きといいたい
折り鶴に細工をした。腱鞘炎を押して作業した結果、左手がめちゃくちゃに痛んだ(左利きです)。
手が痛いから、バンテリンを塗りながら仕事をして、今度は鼻もやられた。それは正直後悔したけれど、綺麗なものができたのは嬉しい。少なくとも、僕はこの鶴が綺麗だと思う。
「図工でゴミを作ってくる」と母親に言われたことがある。
褒められるものもたまにある。中学の時に作った塑像はかなり高評価だった。
何がゴミと言われて何が褒められるんだか、確信が持てなかったのが辛かった気がする。
ずいぶん前にも書いたけれど、小学一年、初めての夏休みの宿題で、絵を描いたら「背景を先に塗らなかったので描き直し」と、画用紙の裏面に描き直しさせられたことも覚えている。提出するのが恥ずかしかった。
好きなものを好きに作れる環境が幸せすぎるから、手が痛くても作りたい衝動に負ける。
もう大人なんだから、僕の作品も心も、僕が守らなきゃいけない。
漢検準一級、2回目の合格を目指して昨日受けてきた。
僕は漢字が好きで、それはもう否定できない気がした。
というか、別に何が好きだって良いじゃないか。
言葉をたくさん知っていることはコミュ力に直結しない。
それは中学生の頃に気がついたのに、日本語の語彙をもっと知りたくて、漢詩文もそれなりに好きで、やめられなかった。
コミュ力につながらない言葉を頭の中に集めている自分のことが嫌いだった。
もっと他にやることがあるような気がして、漠然とずっと不安だった。
でも、別に「漢字が好きな自分」を嫌いになる必要なんかなかったと今は思う。
好きなものを好きだと言える大人になりたいと思った。
攸