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短編文学的エッセイ 【地下鉄と中古車と僕の考察】

とある日の昼下がり、僕は彼女の家の最寄り駅に到着した。改札に向かうため階段を登りきると、目に飛び込んできたのは反対側のホームへ続く下り階段の壁に掲示された、大きな広告だった。

「中古車を買うならグーで。」
スマホを手に笑顔を見せる有名な芸人コンビと、どこかで見覚えのある女性タレントの姿があった。地下鉄の駅で中古車の広告を見るのは不思議な感覚だ。
ここにいるほとんどの人は、車を持たない生活を送っているはずなのに。

そんな中で、車を持つことが果たしてどんな意味を持つのだろうか。公共交通機関を使う人々に向けて車の広告を打つことに、どれだけの意義があるのか。それとも、この広告は無意識のうちに、車を持たないことへの劣等感を煽るためのものなのだろうか。

その瞬間、僕は友人たちが車を持っていることを思い出した。彼らは車で自由に移動し、僕はいつも公共交通機関に頼っている。
ふと、そんな彼らと自分を比べてしまう。
彼らのように車を持つことが絶対に必要だとは思わないが、公共交通機関を待つ時間が無駄だと感じる一方で、車がもたらす自由さには確かに惹かれる部分がある。

その広告の真意は、おそらくそこにあるのだろう。人々に「車を持っていないこと」を意識させることで、無意識のうちに車を持ちたいという願望を植え付ける。特に中古車なら、手の届きやすい夢として現れる。

それでも、どこか空虚な感じが残る。
広告は、ただそこに存在するだけなのだ。
僕たちの目を一瞬奪って、その後は何も残さずに消えていく。日常の風景に溶け込み、
次の瞬間にはもう記憶の彼方だ。

そんなことを考えながら、僕は改札を抜けて地上へ上がった。昼下がりの陽射しが、柔らかく街並みを包み込んでいる。
肩の力を抜いて、無意味な広告に一瞬囚われた自分を思い返しながら、静かに歩き出した。自分の選択や価値観を再考する余裕を持ち、日常に向き合うことが大切だと改めて感じた。

※この作品はフィクションです。
※特定の個人・団体とは関係がありません。

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