今年の桜を見る
桜が綺麗な季節がやってきた。春だ。
あれから、1年が経った。1年って、本当にあっという間だなぁと思う。
去年の今頃、仕事やいろんなことに悩んでいた。自分の将来について、人生について、どう生きていったらいいのかと、途方に暮れていた。
想像してた未来とは全然違っていて、思い通りはおろか、信じたくないような現実を突きつけられて。絶望感に苛まれて、泣いて暮らしていた。涙って枯れないんだと、わからされる。
生きていれば、なんとかなる。
そう思って、自分のできることをやっていた。ただ、何をやってもすべて裏目に出る。一生懸命やればやるほど空回り。自分のやることは、考えることは、すべて無駄になるし、他人に迷惑をかける。どんどん自分のことを、嫌いになっていった。他人を信じられなくなった。自分を信じる?他人を頼る?何もできなくなっていた。何もなくても、涙が出て、止まらなくなった。
こんな言葉を使うのは躊躇うが、おそらくあの時期は、病んでいたんだと思う。
それでも、次の日はくる。
嫌でも、日々は過ぎていくし、状況は変わっていく。
ついに私は、あらがうことをやめた。がんばることをやめた、と言ってもいい。
どんどん変わっていく状況に、環境に。流れに身をまかせることにした。
自分でどうにかしよう、変えてやろう、頑張ってどうにかしよう。そう思ってやればやるほど、うまくいかなかった。状況はよくならなかった。何か、私の意思で人生を動かすことを諦めろと、言われているような気がした。実際、何かの力が働いてるようにしか思えなかった。
諦めて、流されるがままに。あらがわず。ままに。
そうして過ごしていたら、いつの間にか1年が経っていた。
辛かった日々を克服しようなんて、考えてこなかった。ただ、与えられる道を歩いてきただけ。それが、自分にとってはよい方法だった。そう、生きてこられたんだから。
去年の桜は、覚えていない。桜を見る、そんな余裕はなかったんだろう。
今年は、桜を見よう。
生きているからこそ、見られる風景。
流されてきた今に感謝して。生きていることに感謝して。