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めんどくさい人間の、幸せの感じ方。

次女が突然
「幸せって一生の量は同じなんだって。前半幸せだったら、後半幸せじゃないことが起きたりするし、その反対もあるんだって」
と昨日言い出した。

14歳、受験生幸せを語る

普段、「美味しいものが食べれて幸せ」「ママのご飯が朝おいしくて幸せ」と口にする次女。
小さなことに喜べる彼女を頼もしく思いながら、毎日過ごしている。

そんな彼女が気軽に使える「これ好き」「幸せ
〜」とは明らかにちがう抽象度の話を持ち出してきたことに内心驚いた。
同時に「これはどっちの意味で言っているのだ?」と警戒心が芽生えた。

「今不幸せだが、未来は明るい」
なのか
「今幸せだから、未来が怖い」
なのか。

とはいえ、全く意味なく言っているようでもある。ならば、そのまま、捉えて話をしよう、と決めた。

「そうなん?」
と返すと
「うん。そうやって聞いた」
それ以上話す様子のない次女に、母親の個人的な考え、として話す。

めんどくさい人の話

幸せは、感じ方が違う。
毎日ちょっとしたことが幸せと感じれる人とそうでない人は、死ぬ時までに同じだけの幸せを感じるかどうかはわからない。
でも、さっきの前半と後半の話は、ありそうだなって思う。
なぜなら、
生まれた時から、家が貧乏で、ご飯もあまりなくて、家から外に出ることも、他の人と接することも少ない人がいたとして。
誰かに何かしてもらったら「ありがとう!」って思うし、食事をご馳走になったらなんでも「美味しい!幸せ」って感じて伝える気がする。
すると、何かした人もご馳走した人もいい気分になって、また助けてあげようって思うかもしれない。
さらにお給料を無駄な出費もせずに生活してても「3食食べれる」ことが幸せだし、もしもそれで貯めたお金でやりたいことができたり、ほしいものが1つ買えたら「幸せ!」って思えると思う。

でも仮に、家が裕福で、大抵のことはなんでもできて、なんでも食べれた人は、やりたいことができて幸せ!と感じていたと思うけど、さっきの人と同じところに就職して、同じお給料だったら「お給料が少ない」と感じるかもしれない。
それまでのように好き勝手できないことに不満を感じるかもしれない。
すると、後半はうまくいかないとか幸せじゃなくなったと感じでおかしくないなって思うわ。

呆れ顔の次女

呆れを忍ばせた顔で
「う、うん」
「別にそこまで話がしたかったわけじゃないけど、わかった」

どうやらただの軽い世間話の扱いだったらしい。
面倒くさい母親を、いつも許してくれる次女にハグをして誤魔化す。

44歳、幸せを語る。

「ママは、毎日子どもたちといれて幸せだよ」
「〇〇(次女の名前)も!」
「あとは、毎日ご飯食べれて幸せ」
「〇〇も!」
「新しいもの知った時も幸せ」
「わかる!」
「幸せって感じられるから、生きててよかったぁって思ってるよ」
「〇〇も!」

文章にするとちょっとおバカで、ごくごくなんでもない日常が、幸せだと思える自分は、ラッキーなんだと思う。

昨日、私は誰から聞いたのか、とは質問しなかった。自分の中で疑問が湧かなかったから。noteを書いていて、果たして彼女は誰から、あるいは何からその言葉を聞いたのだろう?と今考えている。


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北山 悠【主役力で小さな経営はうまくいく】
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