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幼い頃に持った違和感を思い出す


田中慶子さんの本日の生配信。
7月のオフ会で移住猟師マサキさんのお家に行って対談した時の配信のコメント返し。
マサキさん家族の話、命のことと殺のことなどコメントの紹介とさらに慶子さんが感じたこと話されていた。

その時にぐわんとずっと忘れていた幼き日の違和感を感じた場面が戻ってくる。

教室の中で知る食肉と部落

場面は、教室の中。確か小学生の時のこと。
あれは道徳の授業だろうか。それとも社会の授業だろうか。
部落の話になっていた。
士農工商の下に作られた、えた・ひにんという身分制度。
それぞれの縛りがなくなり等しく平民となり、職業を変えることができるようになったのが明治。
けれど、えた・ひにんと呼ばれた彼らが住む地域とされてきた場所から出ることや、職業を変えることが難しく、婚姻でも差別を受け続けた結果、昭和になっても差別問題が解決せず、その地域は部落と呼ばれる。
本格的に日本の政府が解決に乗り出したのが、昭和40年代で戦後復興が落ち着いてから。

小学生の私は自分が住む自治体のどこに部落があったのかは知らない。
なぜなら私が小学生で教育を受けた昭和60年代はすでにどこにあったかをいうこともまた、差別を助長することとして捉えられていたから。

それでも職業ではそのまま継続している人が多いので、という理由で「お肉屋さん」には元部落の方が多いという話が出てきて大きな違和感を覚えた。
動物の命を奪い、血を浴びるような職業だから、地位が低いとされていた人たちが行うようになった、という経緯にも理解が追いつかなかった。

食べることは生きること

食肉を食べるのに、確かに命を奪う必要がある。けれど、同じように命を奪う漁師は、別に地位の低い人のものではない。
そして、農業もまた、侍の次にえらい生産する大切な職業とされていた。
にもかかわらず、なぜ、肉屋さんだけ、地位が低い人たちがやるもの、と決められたのか。
その職業の人がいなければ、自分たちは生きていけないというのに。
にっぽん昔話に出てくる猟師さんも良い人だったではないか。
そんななんとも言えない違和感だ。

不浄とは何か

今となっては、検索することができて、当時は「死」や「血」が不浄のものとされていたから、最下層と位置付けた人たちに、職業して死んだ動物の処理を任せ、獣肉の処理も任せるようになったという理由はわかる。
でも「死」や「血」はいつから不浄となったのか。女子は毎月見る赤ちゃんのベッドが不浄のものであるはずがない。生きとし生けるものを、生かし続けている1つは血ではないか。
「死」は即身体に腐敗をもたらすので、けして綺麗なものではない。でもその動物や人が生きた証が「死」だ。
不浄としてしまう意味がわからない。誰にでもあるものなのに。
と大人になっている今でも思うのだから、小学生だった自分にうまく説明できる気がしない。

あの時の違和感を今日の今日まで忘れていた。
答えのない問いを持て余していたのかもしれない。

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