誰かの「実は…だった」を肯定したい。
#訂正する力
#東浩紀
ひとは誤ったことを訂正しながら生きていく。
ネット社会で対抗し合うことが当たり前になり、自分の考えやこだわりの変化を受け入れていくことができず“頑な”な人が増えたのではないか、という主張に納得。
そもそも八百万の神さまの国。
自然のものに、全く同じものなどない。
また、時に自然の力に圧倒されながら、それを受け入れながら生きてきた国。
多様性も、その時々に合わせて臨機応変に振る舞うことはDNA🧬に組み込まれているのではないだろうか。
少なくとも私は生きる中で、その感覚を感じながら育ったし、大人になってからも強くそう意識している。
我が家は無宗教の核家族だったし、そうした思想を教えられたわけではない。それでも、だ。
それぞれの相手が意見を変えることも、変えないことも含めた未来のの中で「議論」は成り立つ。
昔こんなこと言ってた!と掘り起こしてきて、人格否定したり、断罪するようなことばかりしていたら、成長する機会を失ってしまう。
これはその人の“背景”にも言える。
こんな生まれだから、こうだ、というような決めつけは、他人はもちろん、本人もすべきではない。
著者の言う「実は…だった」というストーリーが、その人の心を救い、前に進んでいけるのであれば、どんどん活用すればいい。
読んだ直後の今、無性に誰かに“インタビュー”したい。
誰かの「実は…だった」を肯定したい。
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