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42歳経営者が目指すリーダーは「学級委員」だ。

新しい事を始める時、意見はさまざま出てくる。

何か始めようとする時、いろいろな意見が出る。

「良いですね!」と賛同するスタッフ。
「こういうのが良いんじゃないかな」と提案するスタッフ。
「私はこれが良いです」「あれが良いです」と新プロジェクトのためじゃなく、
自分の欲求をとりあえず出す人。

色々な人がいるからこそ、リーダーは冷静で居られる、と私は思っている。
私自身は、人と話して「一緒に良いもの作りたい」
「良いと思うことをやりたい」という気持ちはいつでも同じ。
スタッフの意見で熱量上がってない場合もある。

そんな時、リーダーがばさっと決めちゃえばいいと考えている。

結局「文句」は出る。

意見を聞いて、まとめて、ゴールを決定する。それに対して、スタッフ全員が盛り上がって、そこへ一直線になる、というが理想的だと思う。意識が高く、会社やプロジェクトの成長に寄与するぞ!!!という熱いメンバーの集まりなら、そんなドラマや自己啓発本のうまくいった会社のようになるかもしれない。

でも実際に自分の周りはそんなに熱い人ばかりだろうか?

私は前職の店長代理、店長時代「一直線」を夢見ていた。元々、ワンマンな感じが嫌い。常に周りと調整しながら決めた方が良いと考えている。

ミーティングで会社が扱いたい商材に関して意見を聞かれる。私は難しいと考えている商品だった。「難しいと思います」というと、同じ意見の人間が1人。他は無言。さらに「いいと思います」という人が3人。自分の感覚が古いのだろうか?と私は考えながらミーティングが終わった。

衝撃はその後起こった。そのミーティングに出席していた全員が「あんなの売れるわけないやん」と言い始めたのだ。

「だったら、ミーティングの間に言って欲しかったよ」

と伝えても「そんなこと言えるわけない」と言う。業績にかかわることなのに、本音を言わずにどうするのか。そう伝えても伝わらない。自分の伝え方が悪いのか、自分のやり方が悪いのか。夢見ている分、悩んだ。やって見せ、説明して、やらせてみても、人はやらないこともある、と知るまでに時間がかかった。

結局のとこ、熱量が違う場合、どんな結果になっても
文句が出る。さらには、私は知らなかったという意見も出てきた。

その度に、あの長い話し合いはなんだったのかと落胆をした。その繰り返して気づいたのは、「発言=責任」で、ここにいる人間は責任を取りたくないし、自分がメインになるのも嫌なのだ、と言うことだった。

本質的なところは何度も話し合う

この経験を経て夢は見なくなった。

事業において何かする時、骨幹である本質的なところは、何度も話して理解してもらい、同じ方向を向いて頑張らないといけない。
それ以外の部分は、手放す、あるいはこちらで決めるのもありだと考えている。

スタッフは、同じ方向が見てる人がいい。だが、その人が見つかるのが当たり前だとは思わない。こんな人なら仲間になり、こんな人だとならないという定義は難しい。
とりあえず、どんな時でもYESしか言わない人以外は、どんな人材も一旦は仲間としてはむかえない。

何にでもYESは、どうでも〈いい〉と言うこと

何にでもYESは、自分の意見がないというより、どうでも〈いい〉って意味だと思うからだ。興味があることや、私が重要視しているところは、その人にとってはそうではない、ということ。そうなると、本質的に一緒に楽しく過ごす、とか何か作り上げたりする間柄にはなりにくいのだな、と感じるわけだ。

目指すリーダーは「学級委員」

仲間になりにくい人は置いておいて、リーダーはまとめ役であればいいと思う。「議題」を出し、意見を募る。同じ方向は見ていないかもしれないメンバーのいろいろな意見をまとめて、「事業がより良い方向に向かう」その時ベストだと思うものを選択する。

決定した途端に「文句」が出ることもある。それでも決まったら、一旦は一緒にやってみようと、声をかけていく。

学級委員に大きな権力はない。引っ張るようなリーダーシップではなく、学級の雑事をこなしながら、まとめる存在だ。

突出して何かができるわけではない。カリスマ性があるわけでもない。なんなら学生時代には一度も学級委員になどなったことはない。クラスで目立たない生徒だった。そんな自分が目指すのには「ちょうどいい」


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北山 悠【主役力で小さな経営はうまくいく】
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