見出し画像

20人殺し《02》

 20人殺し。ことの顛末はこうである。

 元和8年(西暦1,622年)2月20日、風神権蔵が突然発狂した。というのも、さよが昨夜のうちにいなくなってしまったからである。さよは権蔵が村外れから拐ってきた娘である。権蔵は拐ってきて土蔵に格子部屋を作りそこへ監禁した。そして毎日自分の欲求を満たした。しかし、それが叶わぬものとなったことを知ると、突然のように猟銃を握って村中を巡り、
「どこへ隠したぁ」
「見つかるまで許さぬぅ」
 と叫びながら、手当たり次第に村人を撃っていった。その数20人。とうとう権蔵はさよを見つけられぬまま朝を迎え、走り続けることにも疲れたのか、終いには銃を口に咥えて自らを撃ったのである。
 さよの行方はとうとうわからぬままであったが、人の噂によると、寺の住職をさよの家族が頼ってきたため住職が匿い、夜のうちに峠を越えさせてやったのであるという。
 この事件を大々的に取り上げぬ雷神家ではなかった。当時の当主風神佐輔は、
「二神様がお怒りになったに違いない。二神様が鉄槌を下されたのじゃ」
 と言って、麓にあった社殿を雷神家の支配下にある最も高台に移築し、社殿もより荘厳にして二男坊を宮司に立てた。風神家は当主を失いさらに神社も失ったのであるから、文句をつけられずに雷神の後塵を拝する格好になってさぞや悔しかったのであろう。
 ところで、このさよであるが、妊娠していたらしい。

閲覧ありがとうございます。温かい目で見守っていただければ幸いです。感想やレビューなどコメント頂けると勉強になります。