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忘れない、忘れちゃいけない、1月17日という日

それなりに歳を重ねてきて、中年とか初老みたいなワードに全く逆らえない年代になってきた。

毎年多少の変化はありつつも、四季を繰り返していくうちに、少しずつ昔の記憶は薄れていってしまうものである。

まだまだ気は確かだと信じているけれど、昔はとても心に強く残っていたはずの出来事に「そういえば、そんなこともあったな」と懐かしんでいたり、もしかしたら記憶から抜け落ちている思い出もあるだろう。

30年前の出来事となると、おおむね記憶が少しずつ薄れていっていることを実感する。

当時は学生だった私だけれど、世間一般が思う学生の姿からは道が逸れてしまっていた(決して非行的なことはしていない)とか、今は実家には存在していないペットを飼っていたなとか、やんわりとしたことは覚えているけれど、一日一日をどう過ごしていたかなんて思い出せない。

それでも一日だけ、明確に覚えている日がある。

1995年1月17日。

当時兵庫県に住んでいた私は、いつもならぐっすり眠っているはずの6時前の時間になぜか目が覚めていた。

とりあえず部屋でごろごろしていると、部屋がガタガタ揺れ始めた。

たまにしか来ない地震が来たな…と思った矢先、これまで経験したことのない強い揺れが始まった。

机の上の物は散乱しているけれど、とりあえず家が壊れたような様子はなく、家族やペットの無事も確認し、ひとまずの安心を得る。

停電になりテレビを観ることができず、当然当時はインターネットなんてものは身の回りに存在していないので、ラジオに聞き耳を立てて何が起きたのかを確認。

とりあえず神戸を中心とした強い地震が起きたことは理解したが、被害の状況は情報が錯綜しているようだった。

少しずつ時間が経つにつれ、広い範囲で被害が出ているようだということと、人的被害も出ているかもしれないということを把握したものの、音声だけでは被害状況はよくわからないままという状況。

夜になり、停電が復旧したためテレビをつけると、後に阪神大震災と呼ばれる地震の被害状況を目の当たりにした。

普段の生活で利用してきた場所も、そうでない場所も、各地で想像を絶するような見たことのない状況になっている。
にわかに信じがたい光景が広がっていた。衝撃の一言だった。

1回の地震で、いつもの風景があっけなく消え去ってしまう。
そのような出来事が、まさか自分の生活圏で起こるとは。

昨日まで何もないから大丈夫は、今日からも大丈夫の理由にはならない。
本当は当たり前のことかもしれないけれど、1995年1月17日を迎えるまで、自分事と思えていなかった。

当時、現実世界をふわふわと生きていたような私だったけれど、あの日の出来事は現実のことをいろいろと考えるきっかけとなったような気がする。

あの日から30年が経とうとしている。

私は阪神大震災を体験こそしたけれど、被災はしていない。

だからこそ、地震の記憶をこうやって文字にするような権限はない気がずっとしていた。

結局、当時の私は思いもよらない大地震と、想像を絶する被害状況が怖かっただけの人間だからだ。

ただ、とりあえず私にできることは、30年前のあの日をこれからも記憶しておくことなのかもしれない。

また何年か過ぎたら記憶がぼんやりしていくものが増えてしまうのかもしれないけれど、1995年1月17日を覚えていられる私でありますように。


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