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自分がオタクかよくわからなくなってきたので、オタクを名乗るのをやめようと思う

長らく、SNSなどで自分を紹介するときに「オタク」を自称してきた。

今思うと違いがわからないけど「オタク」か「ヲタク」のどちらの表記でいくか悩んでいたりしたこともあったり。

ずっと自分はオタクというカテゴリーにいるんだと思って生きてきたはずだった。

だけど、最近ふと気がついてしまったんだ。

今の私は、本当にオタクなんだろうか?と。
 
そんなことを考えるようになったのは、オタク向けとして書かれている記事たちが、自分にしっくり来ないことが増えてきたからだった。

「オタクあるある」として書かれていた内容が、全然自分のあるあるじゃなかったんだな。

ずっと自称してきたはずの「オタク」だったのに、もはやオタクの定義がよくわからなくなっている。

オタクといっても、人により熱中しているものはさまざまではあるけれど、私はゲームとアニメを楽しむタイプのオタクだったはずだ。

だけど、ゲームは遊んだりするけどちょっとしたスキマ時間にちょこっと遊ぶくらいになってしまった。
スマホゲームをちょこちょこ遊ぶけど、そんなゆるいレベルでは「オタク」と呼ばない気がするし。

アニメも似たような状況で、毎クール新作チェックのようなことを全くしなくなった。

何が人気を集めているのかも鈍感になっているし、世間的に話題になっているような作品の大半も履修できていない。
かといって大好きだった作品を何度も繰り返し視聴するようなこともしていない。

好きで追いかけていたはずの物たちが、全然追えなくなっている。
これでは、とてもオタクを名乗れない気がした。

そして、何よりも「オタク」という言葉の印象が、過去とは変わったような気がするのも心情的に大きいかもしれない。

昔のオタクは、ゲームやアニメなど好きなものを世間に向けてあけっぴろげに出来ず、仲間内でこっそり楽しむみたいな印象が強かった(あくまで私の印象)。

私もゲームが好きなことを隠すようなことまではしていなかったけれど、「女の子がゲームするんだ」なんて価値観が存在していた時代だったこともあり、ゲームが好きな自分に後ろめたさのようなものも感じていた。

でも、現在のオタクはあまり好きなものを隠そう的な要素が少ないように見える。
それどころか1つのアピールポイントとして扱われている気がしていて。

極端に見える過剰なコレクションも羨望の対象になっているように感じるし、オタクという言葉が1つの個性くらいの扱いになっているように思う。

隠れて楽しむのが良さみたいに感じていたところもあったので、今のアクセサリーのように出てくるオタクという言葉の雰囲気に違和感を覚えてしまうのかもしれない。

そんなことを考えていたら、無理にオタクでいようと思わなくてもいいかなと思い始めた。

長らく「オタク」を名乗ってきたから、心のどこかでオタクだと再確認できるような行動を取り続けたいと思ってきたけれど、オタクを名乗るために頑張るのは違う。

私が見ていてこの人オタクだな…と思える人は、別にオタクになろうとしてオタク的行動をとっているわけじゃない。
好きと思えることに集中しているだけなんだ。

私だって、ゲームやアニメが好きだから楽しんでいただけのはず。
なのに、いつから距離が出来ていたのかな。

こうやってnoteやブログを書いたり、競馬が好きになったりして、好きだと思えることの選択肢が増えたからなのか、SNSなどのネット上で私より楽しんでいる人たちの行動が可視化されて、自分の薄さが気になるようになったからなのか。

原因はわからないけれど、とりあえず、もう「オタク」を無理に名乗ることはやめようかなと思う。

ゲームを遊んだりアニメを観る時間は以前より少なくなったけれど、ゲームを遊ぶのは楽しいし、アニメを観るのも好きなことには変わらない。

ただ、オタク云々を気にせず、自分の好きな時に好きなものを楽しめたらそれでいいんだ。
ずっと「中途半端なオタク」とか「うすめのオタク」なんて思っていたけど、無理にオタクのカテゴリーにいなくてもいいじゃないか。

結局オタクかどうかなんて、自分や周りの気持ち一つみたいなもんなんだけど、中途半端な自分を頑張って「オタク」の枠にはめ込もうとしていた気がする。

だから、これからはそういう枠のようなものを気にせずマイペースに趣味を楽しんでみるよ。

そんなことを思ったら、少し気が楽になったかも。

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