探偵を雇ってまで中国から佐渡まで私を探しに来てくれた友の話
ある日突然、私は誰とも連絡が取れなくなった。
なぜなら私は双極性障害という精神の病にかかり、いろんな意味で手がつけられなくなったため、両親によって医療保護入院させられてしまったからだ。私の意思は全く受け入れられない状況での決定だった。
急に連絡がつかなくなったことを不審に思った友人P(元彼)は、私を探した。
アメリカ人のPは当時、中国の海南島でポーカーをしながら中国語の語学留学をしていた(彼は少なくとも英語・スペイン語・日本語・中国語の4か国語が堪能)。そこで中国人の彼女がいた。
彼女も仕事も学校も置いて、私のいる佐渡に中国から飛んできた。Pはまず私の両親の家に行って私の居場所を聞いたが、両親はPに何も教えなかったそうだ。
ますますPは不審に思い、あらゆる方面から私を探したが見つからない。最後は探偵を依頼して突き止めたという。
私がいたのは佐渡のある精神科病院の中の閉鎖病棟だった。その時私は誰とも面会禁止で、外部とのやりとりを完全に断たれた状態だった。手紙も電話も禁止されていた。孤独だった。非常に孤独だったし苦痛だった。
そんな時Pが病院に現れた。
医師始め病院関係者を丸め込んで(!)私との面会を果たしたのだ。しかしPとの面会時間はものすごく短かかった。
あとでPは、その時の私は薬漬けになっていて動きがものすごくゆっくりで、話すペースも遅かったと言っていた。
私に毎日手紙を書く、とPは言って帰っていった。
Pはアパートを借りて佐渡に数ヶ月間滞在していたのだった。
その後、Pはアメリカからお互いの共通の友人を何人か(以前のハウスメイトEとかB)とお姉さんを呼び寄せ、私に会いに来てくれた。そうだ、Pのお母さんもだ。
京都からヒッチハイクでサポートに来てくれた友人もいた。
それは私のためでもあり、実はPのためでもあったと聞いた。一人、異国の地で医者や私の家族を敵に回してでも私を守ろうとする闘いは生半可なものではなかったからだ。私のことが心配で夜眠れないことも多々あったそうだ。
この話には続きがあるので、それもまた機会をみて綴ってみようと思う。あーあ、書いていてなぜか泣けてきたよ。